安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した海北友松(かいほうゆうしょう)という絵師をご存知だろうか。狩野永徳や長谷川等伯と並び賞される巨匠だ。頭角を現わし始めたのは、何と60歳を過ぎてから。現代の高齢化社会においても希望の星のような絵師•海北友松の人生と作品とは? 京都国立博物館(京都・東山七条)は、2017 年に開館120 周年を迎え、開館120 周年記念 特別展覧会として「海北友松」展から紹介する。

頭角を現わし始めたのは60歳から

 狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠、海北友松(1533~1615)。絵師として頭角を現わし始めたのは、何と60歳ぐらいからという。

 近江浅井家の家臣の家に生まれた彼の前半生は謎が多く、若年を東福寺で過ごしたが、戦乱によって主家や兄が信長に滅ぼされ、還俗して狩野派の門下に入り、画の道に進んだと伝えられている。

重要文化財 雲龍図(8幅のうち4幅)(部分) 海北友松筆 京都・建仁寺蔵

 もっともよく知られるのが、60歳を過ぎて描いた建仁寺大方丈の「雲龍図」であろう。凄まじいまでの気迫溢れる水墨画は、今なお、見る者を圧倒する。

 その後、83歳で没するまで筆を握り続け、最後に詩情あふれる「月下渓流図屏風」を描き上げた。

 海北家の再興を夢見ながら、武人か、絵師かで悩み続けながら、数々の傑作を遺した友松。その人間味溢れる作風は、友松の人生の歩みとともに変化し、「月下渓流図屏風」において、豊穣の時を迎えたのだ。人生の悩み、歩みを感じさせる画風が、狩野永徳や長谷川等伯とは大きく異なる点だろう。それが、人間・友松の魅力を一際、深めているにちがいない。

時代小説家•葉室麟氏×海北友松

 この秋には、狩野永徳や長谷川等伯、海北友松など絵師たちの人生を描いた時代小説で人気の作家•葉室麟氏がナビゲートする『葉室流・京の歩き方を指南する本』(仮題/KKベストセラーズ)が出版予定なので、そちらも楽しみである。

展覧会の特別イベントで、作家•葉室麟氏と、京都国立博物館学芸部長•山本英男氏が、海北友松について熱くかたった。

全十章の見どころは?

 特別展覧会「海北友松」展では、海北友松の人生を全十章による構成で展開し、代表作はもとより、数少ない初期作品、新発見作品を通じて、その画業と生涯に触れることができる。最晩年まで絵筆を握り続け、83歳でその生涯を終えた桃山最後の巨匠の世界を堪能してほしい。

第一章 絵師・友松のはじまり―狩野派に学ぶ―

 近江浅井家の家臣・海北綱親(つなちか)の五男(もしくは三男)として生まれた友松は、幼い頃、東福寺に喝食(かっしき)(有髪の小童)として入った。ました。主家である浅井家や兄が信長に滅ぼされ、還俗して狩野派の門を敲き、画の道に進んだと伝えられている。ここでは、六十歳以前の友松の作と目される「山水図屏風」「柏に猿図」には、狩野派の影響が多く見られ、まだ「友松様式」といわれる画風は確立されていない。

第二章 交流の軌跡―前半生の謎に迫る―

 友松には明智光秀の重臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)という心を通わせる友がいた。さらに、真如堂の僧で茶人の東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)のほか、豊臣秀吉、石田三成、細川幽斎など、戦国時代の錚々たる人々と関わりがあった。ここでは、孫の友竹が記した「海北家由緒記」のほか、ゆかりの人々の関連作品や史料を紹介し、謎多き前半生を浮き彫りにする。

第三章 飛躍の第一歩―建仁寺の塔頭に描く―

 六十歳を過ぎて頭角を現わし始めた友松の活躍の舞台となった、京都、建仁寺。大方丈の障壁画をはじめ、大中院や霊洞院、禅居庵などの塔頭にも障屏画や掛幅が伝わっており、建仁寺は「友松寺」とも呼ばれるようになった。

第四章 友松の晴れ舞台―建仁寺大方丈障壁画―

 慶長四年(1599)、友松、六十七歳。兵火によって灰燼に帰した建仁寺方丈が再興されることになり、栄えある内部装飾を任された。二頭の巨龍の圧倒的なスケール感と墨の気迫が凄まじい「雲龍図」、孔雀の躍動美を追求した「花鳥図」など、いずれも「友松様式」の完成を物語る名作が、威風堂々、展示される。

第五章 友松人気の高まり―変わりゆく画風―

 建仁寺大方丈に描いて以降、友松の活動は拡がっていく。八条宮智仁親王をはじめ公家との関わりが深まるとともに、画風に変化が見られるようになり、方丈画で見せた重厚感や激しい気迫は影を潜めてゆき、情趣豊かな作品が描かれてゆく。多様化する支持者の要求に応えた、最晩年期までの水墨画を紹介する。

第六章 八条宮智仁親王との出会い―大和絵金碧屏風を描く―

 慶長七年(1602)、友松は細川幽斎や公家の中院通勝の推挙によって、八条宮智仁親王のもとに出入りするようになる。古典に習熟した親王との交流と、王朝文化に深く触れることで磨かれた絵師の感性が、二双の金碧屏風の傑作「浜松図屏風」と「網干図屏風」を生み出す。水墨画とはひと味違う、華やかで叙情溢れる金碧画の世界を楽しみたい。

第七章 横溢する個性―妙心寺の金碧屏風―

 最晩年に近い友松の活躍の場として、忘れてはならないのが妙心寺である。妙心寺に伝わる三双の屏風は、いずれも漢画の手法が駆使された華やかな金碧屏風。今を盛りと咲き誇る牡丹を右隻に、清楚な梅椿を左隻に描く「花卉図屏風」は、友松画のなかで最もゴージャスな雰囲気を備えている。

第八章 画龍の名手・友松―海を渡った名声―

 神獣である龍は、頭が駱駝、角が鹿、目が鬼、耳が牛、体が蛇、腹が蜃、鱗が鯉、爪が鷹、掌が虎に似るとされる想像上の動物で、古くより水墨画の画題として好まれ、多くの画家が描いてきた。友松も同様で、龍図を得意として多くの画を遺しているが、その評判はわが国はもちろん、隣国の朝鮮でも非常に高かったようだ。朝鮮の高官・朴大根の友松の龍図に関する書状とともに、さまざまな龍図を紹介する。特に京都・北野天満宮の「雲龍図屏風」は、おどろおどろしさの中、龍に人間の感情のようなものが潜んでいるようにも感じられ、一度見たら、忘れがたい印象を残すはずだ。

第九章 墨技を楽しむ -最晩年期の押絵制作-

 「押絵」とは屏風の一扇ごとに絵を押す(貼る)もので、詩作の会や贈答などに用いられた。気負いのない柔らかな筆遣いと洒脱な雰囲気の友松の押絵は、当時、天皇や宮家をはじめ、寺院や武家、富裕町衆まで高い人気を博した。賛が施された友松の押絵とあわせて、希少な自筆の書状なども展示する。

第十章 豊かな詩情―友松画の到達点―

 友松の水墨画は、「雲龍図」に代表されるような、ほとばしる気迫を前面に押し出した画風から、次第に静謐で情趣性豊かなものへと変化していく。展示の最後、第十章では、友松の最高傑作との呼び声高い「月下渓流図屏風」を紹介する。早春の夜明け頃、朧月の優しい光が渓流を淡く照らし、白椿やたんぽぽ、つくしなど春の植物が清らかに描かれる。詩情豊かなこの作品は、武人から絵師へ、戦国の世を生き抜き、最晩年まで筆を握りつづけた友松が辿りついた孤高の境地といえる。

●展覧会情報
開館120周年記念特別展覧会「海北友松(かいほうゆうしょう)」
会期/2017(平成29)年4月11日(火)~ 5月21日(日)
会場/京都国立博物館 平成知新館
交通/JR、近鉄、京阪電車、阪急電車、市バス 交通アクセス
休館日/月曜日開館時間 午前9時30分から午後6時まで(入館は午後5時30分まで)
※ただし会期中の毎週金・土曜日は午後8時まで(入館は午後7時30分まで)
観覧料/一般 1,500円(1,300円)、大学生 1,200円(1,000円)、高校生900円(700円)、中学生以下無料