イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 連載第78回「“年の差心中事件”の衝撃の真相」で、三十八歳の男と十四歳の女の不倫と心中について書いた。ところが、滝沢馬琴著の『異聞雑稿』に「長半情死実説」として、ふたりの心中の真相なるものが紹介されている。
「長半」とは、長右衛門とお半のこと。考証に厳密だった馬琴らしく、ふたつの説があるとして、両方とも紹介している。

(一)

 お半は京都の信濃屋という商家の娘で、十四、五歳だった。長右衛門は同じ町の、帯屋という商家の主人で、五十に近い年齢だった。ふたりは恋に落ち、忍び会っていたが、お半が妊娠してしまった。

 困ったふたりは駆け落ちし、かつてお半の乳母だった女が桂川の近くに住んでいたので、そこを訪ね、泊めてもらった。翌日、今後のことを考えるため、長右衛門はひとりで外出した。乳母は、お半が大金を持ち出しているに違いないとにらんだ。
「お金を持っていたら、なにかと物騒ですよ。ここを出るまで、あたしがあずかりましょう」
 なんの疑いも持たず、お半は所持していた金を乳母にあずけた。

 夕方、長右衛門が戻ってきた。その夜、大金に目がくらんだ乳母は息子と共謀して、熟睡している長右衛門とお半を紐で絞め殺したあと、ふたりの着物の褄を結び合わせて、桂川に投げ込んだ。
 数日後、ふたりの死骸が浮かんでいるのが発見された。いきさつからみな心中と判断し、年齢の離れた男女の密通と心中は大きな話題となった。 

 翌年、信濃屋はお半の一周忌の追善仏事をもよおすことになり、桂川の乳母にも声をかけて呼び寄せ、台所仕事を手伝わせた。牡丹餅を作るため小豆を煮ていたが、乳母は暑くなって着物を脱ぎ、襦袢が見えた。その襦袢はお半が着ていたもので、特別あつらえの高級品だったため、信濃屋の主人夫婦はすぐに気づき、乳母が怪しいと見て、奉行所に訴え出た。
 乳母と息子は奉行所に召し捕られ、きびしい拷問を受けるに及んで、すべてを白状した。ふたりは極刑に処せられた。

 

(二)

 お半は京都の商家の娘で、十四、五歳だった。長右衛門は五十歳に近い年齢で、大坂の商人だった。

 商用でしばしば京都に来ていて、お半の父親とも親しかったが、長右衛門とお半のあいだに色事めいたことはなかった。お半は大坂の親戚の家で奉公することがきまっていたが、なかなか迎えが来ない。長右衛門が京都に戻るのを知り、お半の父親が頼んだ。
「娘を大坂の親戚のもとに連れていってくれませんか」
「よろしいですぞ」

 翌日、夜明け前に長右衛門はお半を連れて出発した。すぐに夜が明けると思っていたが、時間を間違えていた。桂川まで来たが、まだ渡し舟も出ていない。仕方なく、ふたりは川べりに立って夜が明けるのを待った。そこに、博奕帰りの男が通りかかった。
「おや、こんなところでなにをしているんですかい」

 長右衛門が事情を話したが、男はふたりは駆け落ちに違いないとにらんだ。とすれば、大金を持っているに違いない。そこで、言葉巧みに、「夜明けまではまだ間がありますよ。よろしければ、あたしが舟で渡してあげましょう」と、近くに係留してあった小舟にさそった。
 長右衛門とお半は喜んで舟に乗った。桂川のなかほどまで来たところで、男は棹でふたりを殴り殺した。そして、長右衛門のふところにあった二十余両を奪い、ふたりの着物を結び合わせて川に流した。

 数日後、長右衛門のお半の死骸が発見され、当初は心中とみなされたが、お半の父親が町奉行所に訴えた。
「長右衛門は路用の金を持っていたはず。金がないのは不審でございます」
 役人も盗賊の仕業に違いないと見て、ひそかに遊里や両替屋などに、「身分不相応に金を使う者や、両替をする者があれば知らせよ」と、通達した。

 一年ほどたった。長右衛門とお半を殺害した男は用心深かった。奪った金包みから一両ずつ取り出し、銭に両替して目立たないように使っていた。

 いよいよ最後の一両小判となった。男は包み紙のまま両替屋に持ち込んだ。その包み紙は長右衛門が包んだもので、名前まで書いてあったのだが、男は字が読めなかったので気づかない。両替屋は包み紙の名前を見て、一年前の奉行所の通達を思い出し、すぐに訴え出た。
 こうして、男は召し捕られ、拷問を受けるにおよんですべてを白状した。

 噂によってこれほど内容が異なるのは驚きだが、しょせん噂とはこんなものなのかもしれない。とくに男女間の事件の噂は憶測がはいりこみやすいし、面白おかしく脚色して伝えられる面もある。
 現代でも、有名人の離婚や不倫について報じられるが、ほとんどは憶測や伝聞である。本人が記者会見で弁明することもあるが、はたして何パーセントの真実を述べているかは、はなはだ疑問である。けっきょく男女間の真相は当事者しか知らないのかもしれない。