<第23回>

3月×日
【僕がパソコンを手に入れた12年前の春、初めて検索した言葉】 (前編)


60歳になる父がiPadを買ってきた。
しかしいまいち使用方法がつかめていないようなので、息子である僕が手取り足取りレクチャーをした。

かつて幼き頃の僕に父は、

「いいか、自転車っていうのは、こうやってバランスをとりながら乗るんだ」
「いいか、靴紐っていうのは、こうやって結ぶんだ」
「いいか、火曜日っていうのは、一番ダルい曜日なんだ」
「いいか、髪の毛っていうのは、伸びるんだ」
「いいか、海苔っていうのはな、黒い」
「いいか、虫はな、たまに耳に入る」

などといった、人生にとってとても必要だったり、あまり必要ではなかったりする知識を与えてくれたが、いまでは僕が父に様々な電子機器の取り扱い知識を与えることのほうが多い。そんな時、父に対して、なんとも言えない甘い優越感が湧き起こる。

昭和生まれの父に対して、現代っ子である僕が近未来の文明をレクチャー。ちょっとした「タイムマシンに乗って縄文時代に降り立ち、そこで未開の人たちに服を着ることの素晴らしさを教える」気分になる。

しかし、ふとあることに気がつき、その錯覚は泡となってすぐさま消える。


偉そうに現代っ子ぶっているが、僕もおもいっきり昭和生まれではないか。


僕は現在30歳の、昭和58年生まれである。
僕が生まれた年、まだスーパーマリオは跳ぶか踏むかしか出来ず、当然テレビの上には木彫りの熊が鎮座し、iPadなんて想像することすら叶わなかった。

なんたって、あの昭和である。「昭和」をグーグルで画像検索してみれば、そこには白黒写真ばかりが並ぶ。プロレス中継の街頭テレビに人が群がり、浅間山荘に鉄球がドーンとぶつかって、ドロップの代わりにおはじきを舐めていた、あの昭和に生まれているのだ、僕は。

父に対してさっきまで偉そうにiPadの使い方を抗議していた自分が、急に恥ずかしくなった。
携帯電話を初めて手にしたのは高校生の時分であったし、インターネットに触れたのは二十歳目前の頃だったように思う。現代っ子ぶるなんて、あまりにもおこがましい。

そういえば、初めてインターネットを前にした時、最初に検索した言葉は、なんだったのだろうか。


昭和の終わり、僕が三歳だった頃、我が家族は風呂なしのアパートに住んでいた。
覚えておいてほしい。いま、平然とTwitterやFacebookを使いこなし、やれ「アートブックフェアに行った」だ、やれ「週末に自分の主催するクラブパーティーがあるから遊びにきてほしい」だなどと気取った投稿をアップしている30代前半の者たちも、かつては風呂なしアパートが普通に数多く存在する昭和の終わりを生きていた。DSではなく泥遊びが子どもたちのメジャーシーンだったし、平気で野良犬もいた。それが昭和の終わりだ。

で、まあ、僕の家はかなりいい感じに貧乏だったわけで。
父と母、それに弟と4人でその小さなアパートに暮らしていた。襖は穴だらけ、銭湯に通うことだけを楽しみに生き、空腹に耐えられずホットプレートで木工用ボンドを焼いて食べたら意外と美味しかった。

「お金はなかったけど、幸せだった」
どうだろうか、このど直球の、昭和の思い出は。

 

そんな、生ぬるい「三丁目の夕日」的な生活は、平成が来た途端に一変した。
(次回に続く)

 

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*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。