「Dデー」――ノルマンディー上陸作戦決行の日であった1944年6月6日、連合軍優勢の中、ロンメル元帥率いるドイツ軍戦車部隊の反撃があった。Dデーにいたるまでのロンメル元帥を追う。
西方軍総司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥(左)と作戦会議中のB軍集団司令官エルヴィン・ロンメル元帥(右)。両人とも当時の「ドイツ国防軍の顔」ともいえる名将である。

ノルマンディーの守りを託された勇将ロンメル

 1942年3月、ドイツ国防軍きっての老練な名将、ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥が、フランス、オランダ、ベルギー方面を担任する西方軍総司令官に着任した。この時期、すでにドイツの戦運には翳りが差し始めていた。そのため開戦当初で連戦連勝だった頃は慢心していたヒトラーも、イギリス海峡沿岸一帯の防衛強化に本腰を入れようと考えはじめており、あえて有能な彼を送り込んだのである。

 ルントシュテットは、西方軍が管轄する総延長約5000kmもの長大な海岸線の防衛には、最低でも500個師団が必要と見積もった。だが当時のフランスは、占領統治しているドイツ軍の立場では戦火を離れた「後方地域」として扱われており、各地の最前線で疲弊したドイツ軍部隊の補充・休養の地とされていた。そのため、一時的にしか駐留しない損耗した部隊が、戦力を回復して他の戦線に転出するまでの期間だけ西方軍の戦闘序列に加わるという状況だった。このような師団が常時50個前後戦闘序列に名を連ねてはいたが、多くは戦力回復中の部隊のため実質兵力は25個師団程度、つまりルントシュテットの見積もりの約20分の1にしか過ぎなかった。

 さて、その後も各戦線でドイツ軍の敗退は続き、連合軍が大陸反攻を企てているというヒトラーの脅迫観念はいっそう膨らんだ。そこで彼はイギリス海峡海岸地域のさらなる防衛強化を決め、1943年12月、もっとも信頼するエルヴィン・ロンメル元帥を西方防衛準備総監に任命。海峡沿いのフランス海岸に築かれた沿岸防御施設群の査察と評価を命じた。
 国民啓蒙・宣伝省大臣で「プロパガンダの天才」と謳われたヨーゼフ・ゲッベルスの肝入りで「大西洋の壁」と命名されたこれらの沿岸防御施設群は、その堅固ぶりを大々的に喧伝されてはいたが、貧弱な実情を知ったロンメルの落胆は大きかった。

 1944年1月、ロンメルはヒトラーの要望もあって西方軍隷下のB軍集団司令官に就任。そして同軍集団が担任するオランダ国境からフランスのロワール川河口に至る、イギリス海峡と大西洋沿岸に配置されている全陸軍部隊を自身の指揮下に収めたのだった。

◎次回は6月7日(水)に配信予定です。