「ヨーロッパ人が正座生活に慣れたら、経済的負担から解放される」そういったのは、あのトロイアの遺跡発掘で名高いシュリーマン。幕末に日本を訪れていた彼がそう語った理由とは。

シュリーマンの自伝『古代への情熱』を読んで、考古学者を目指そうとした人も少なくないのではないえしょうか。

そのシュリーマンはこんな言葉を残しています。

そう語るのは、『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)のスペシャル講師としてもおなじみの河合敦先生。

「日本人は終日正座しつづけても疲れない。しかも、その姿勢のまま読み書きしても、紙や本をたてかける机などの必要を感じない」(ハインリッヒ・シュリーマン著、石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫)

そんなシュリーマンは遺跡を発掘する六年前に、日本を訪れています。それはちょうど幕末の一八六五年。そのおりの手記に、その言葉が記されているのです。

 

正座をすれば家具がいらない!?

 

江戸時代の日本人の多くは、履物を脱いで畳や蓆の上で正座の生活をしていました。あまりに当たり前過ぎるので、日本人はそんなことを誰も詳述していませんが、シュリーマンにとってそれは、とても新鮮な生活形態であったようです。

彼は、日本人の正座生活に慣れたなら、ヨーロッパ人が不可欠だと信じて疑わない椅子やテーブル、ベットなど必要なくなるし、そうしたものを結婚する子供に買い与える経済的な負担から解放されると思いました。

 

『屠蘇機嫌三人生酔』歌川国芳 国立国会図書館

 

なんともユニークな発想ですが、シュリーマンは日本人の生活には無駄がないと感心しています。 食事も、家族が車座になって茣蓙の上に座り、椀に盛ったご飯や魚を器用に箸で食べ、食後の食器は洗ったら一瞬で戸棚に整理され、食事の痕跡が完全に消えることに感嘆しています。

確かにヨーロッパだと、テーブルや椅子、さらにテーブルクロスやナプキン、大小さまざまな皿やナイフとフォークにスプーンにコップ、ソース入れやコーヒーカップなど、後片付けが大変でしょう。

また、御座がベットやマットレス、シーツの役目を果すことにも感動を覚えています。こうしてシュリーマンは、日本に来てはじめて、自分の部屋を満たしている家具や調度品などは本来必要ないものであり、それらが便利だと感じるのは、単に慣れ親しんでいるだけだからと理解したようです。

 

 

なるほど。当時の日本の生活がそんな風に見えていたのですね。いまではすっかり日本も欧米化していますが……シュリーマンがいまの日本人の生活を見たらどんな風に思うのでしょうか。

日本文化の素晴らしさ、あらためて見直してみるのもいいかもしれません。