社会の求める人材像がその国の教育を作る。『2020年からの教師問題』著者・石川一郎氏が日本の戦後から「ゆとり教育」までの教育史がどのような経緯で成り立ってきたのかを検証し、教育改革の必要性を説く。なぜ今教育改革なのか?(第2/3回)

バブル崩壊から「ゆとり教育」導入まで
「『努力』という価値の崩壊と自立・自律による『生きる力』」

前回はこちら:なぜ大学受験をピラミッドの頂点とした教育ができ上がったのか?

 本コラムで前回述べた「大学受験をピラミッドの頂点とした教育」はバブル崩壊によって大きく変化していきます。

 1990年代、「努力」や「頑張る」といった言葉が、何となく、生徒と接する上で違和感を持つようになってきました。今思い起こすと、日本社会が成長という神話を失っていくにつれて、「努力をしても報われないのではないか」と考える風潮が社会に広がっていったのです。
 また、90年代も後半になると、第2次ベビーブームの子供たちの大学進学の時期も過ぎ去り、大学受験の厳しさもかなり緩和されてきました。大学に入学するために以前ほど努力を必要としなくなりました。
 教育現場では、それまで教師が重視していた価値観である「努力」という言葉が、生徒に対して使いにくくなりました。

 また、原因は一概には言えないと思いますが、不登校の生徒の増加が、社会的に問題になってきたのもこの時期です。そういった時代の移り変わりの中で、文部省(当時)は、21世紀の教育をどのように展開するかを考え、それまでの教育の在り方を見直し、教育課程をどのように変えるかの検討をします。

 そして、今から20年前、1996年に中央教育審議会は、文部大臣から「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の諮問を受けます。その後「ゆとり教育」と呼ばれる教育への方向を示す以下の答申をしています。
 この答申では、今回の教育改革においても根底に流れる考え方が示されているので、少々長いですが引用します。

「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。」

 ここでは、社会の変化に教育が対応出来ていないことを指摘しており、生徒を自立・自律させることを教育の根幹におくように求めています。
 こうして2002年、次の四つの改正に代表される新たな教育体制が生まれます。

・学習内容及び授業時数の削減
・完全学校週5日制の実施
・「総合的な学習の時間」の新設
・絶対評価の導入

 一般に「ゆとり教育」と言われるのは、この時の学習指導要領の内容を指します。

『2020年からの教師問題』より構成

◎次回は6月12日(月)に更新予定です