イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 中山道の最初の宿場である板橋宿のはずれに、「縁切榎」と呼ばれる榎の木があった。この榎の皮をはいで煎じ、別れたい相手に飲ませると、男女の縁が切れるという俗信があった。

 寛政のころ、本郷に流行っている医師がいた。医師は女房がありながら、下女と情を通じていた。
 女房はふたりの仲には気づかぬふりをしていたが、しだいに下女が増長する。しかも、下女に執着するあまり、医師は仕事もおろそかにするようになった。
 心配した女房は、医師の弟子のひとりに相談した。
「このままでは、家は潰れてしまう。どうにかならないか」
 弟子も心を痛めたが、自分が医師を諌めるわけにもいかない。困ったものだと思いながらも、どうすることもできなかった。
 たまたま、弟子は縁切榎のことを小耳にはんだ。さっそく、医師の女房に告げる。
「榎の皮を煎じて飲ませると、縁が切れるそうでございます」
「では、こっそり皮をはいで、持ってきておくれ」

 弟子はひそかに板橋宿に出向き、縁切榎の皮をはいで戻った。皮をすり潰して粉にした。
 翌日の朝食には、医師の好物のあつもの(羹)が用意された。女房はこのあつものに、粉をふりそそいだ。たまたま、奉公人のひとりがこれを目撃した。毒殺を疑い、そっと医師に告げた。

 

 朝食の膳についても、医師はあつものには手をつけない。女房が勧めた。
「あつものは好物ではございませんか。なぜ、召し上がらないのですか」
 ますます医師は疑いを強め、
「食いたくない」
 と、まったく手をつけようとしない。
「まさか、毒でもはいっているというのでしょうか」
「食いたくないものは、食いたくないのじゃ」
 医師がことばを荒げる。ここにいたり、女房は疑いを晴らすため、「では、あたしがいただきましょう」と、医師の目の前であつものを食べて見せた。

 その後、いろんな事情が重なり、医師と女房は離縁することになった。医師ではなく、女房が縁切榎の皮を口にしたことで、医師と女房の縁が切れたのである。まさに縁切榎の功徳であろうと、人々は噂した。

『耳袋』に拠った。
 医師と下女の縁を切らせることはできなかったが、女房は医師と離縁できたのだから、下女のことはもうどうでもよかろう。結果的に縁切榎の功徳といえようか。
 いまも東京都板橋区本町に「史跡 縁切榎」はあるが、江戸時代の榎がずっと残っているわけではない。何度も植え替えられた榎である。