イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 中橋あたりの屋敷に奉公する男が夜、ひとりで遊び歩いて帰る途中、汐留の辺にさしかかった。暗がりから、女がふるえ声で呼びかけてきた。
「お見かけして申し上げます。お情けをおかけください」
 見ると、振袖を着た若い女だった。
「いったい、なにごとか」
「助けると思って、鳥目を少しばかりくださりませ」
 男はこのごろ夜道に出没する夜鷹であろうと察した。

 それにしても、街娼に立つには人品卑しからぬ風情である。よほどの事情があるのであろうと同情した。
「手を出すがよい」
 男は財布を取り出してさかさにするや、中身をすべてあたえた。女は両手で金を受けながら、涙に暮れている。
「どうしてそのように泣くのか」
「このようなお恵みにあずかりましたからには、包み隠さず申し上げます。あたしは浪人のひとり娘でございまして、去年には母が死に、いまは年老いた父とふたり暮らしでございます。父が病の床に伏してから、売り食い生活をしてまいりましたが、もはや売る物もなくなり、食べることもままなくなりました。
 あたしどもの貧窮をみかねて、近所の人が、『夜道で夜鷹に立つがよい。食い扶持くらいは稼げよう』と、勧めてくれました。やむなく、恥を忍び、振袖を着てきょうの夕暮れから道に立ったのですが、とても声をかける勇気がありません。とうとうこんな時刻になってしまいました。このまま手ぶらで帰っては、あす食べる物もありません。おまえさんを見かけ、勇気を振り絞って声をかけてみたのです。すると思いがけなく、このように助けていただき、うれしくてなりません」
 女の話を聞き、男ももらい泣きをしながら、「あすの晩も必ず来るから」と約束し、その場は別れた。

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