Jリーグでもっともタイトルを獲得したチーム、鹿島アントラーズ。その数19――他クラブの追随を許さない結果を出してきた常勝軍団はいかにして作られたか。すべてのタイトルにかかわった強化部長で、6月に初の著書「血を繋げる。」(幻冬舎)を上梓した鈴木満氏に聞く、組織の在り方、リーダーの務め、アントラーズの秘密。

Q2.クラブの伝統を継承していくために、どんなことを考えていましたか?

 

――鹿島にはいかにも鹿島らしい選手がそろっていて、若い選手、他のクラブから移籍してきた選手も徐々に発言が鹿島らしくなっていきます。

鈴木 勝利へのこだわりとか、チームへの献身とか、ジーコが残した哲学がクラブのベースにあります。その哲学、文化、しきたりを失ったら、アントラーズがアントラーズではなくなってしまいます。
 選手たちをアントラーズらしくしているのは、鹿島の練習グラウンドの空気です。ここは「サッカーに真摯に向き合わない者は必要ない、帰っていいよ」という厳しい雰囲気に包まれています。実際、チームのためにならないことをした選手は、そういう言葉で先輩から叱責されます。この空気を私は大切に守ってきました。おかしな言動をした選手にはその場で厳しく注意しますし、個人面談もします。練習グラウンドの空気が選手を鹿島の色に染めていきます。
 選手たちはいつの間にか「アントラーズは勝利を義務づけられている」「2位では意味がない」「優先すべきはチームの勝利であり、自分を犠牲にしなければならないときもある」と口にするようになります。
 最近、土居聖真(25)がそういうことを言うようになったのには驚きました。鹿島ユース時代の聖真は「オレはオレ」というタイプでしたから。「よく、おまえがそんなことを言うようになったな」と、からかいたくなります。でも、そういう言葉を耳にするとうれしいですよ。

――鹿島の選手はこうあるべきというものは、強化部が選手に伝えているのですか。

鈴木 そういう話をすることもありますが、それだけではありません。チーム内で先輩が後輩に継承していきます。草創期なら本田泰人、秋田豊、奥野僚右、相馬直樹らが後輩に継承し、いまなら小笠原満男、曽ケ端準がその役割を果たしています。
 しかし、最近、継承という作業が難しくなってきています。以前は本田、秋田がそうだったように、選手が長い期間、鹿島でプレーしてくれました。その間に継承という作業ができます。いまは選手の海外志向が強まり、頭角を現してきたと思ったら、欧州のクラブに移籍してしまいます。内田篤人(シャルケ)も大迫勇也(ケルン)も柴崎岳(テネリフェ)もそうでした。選手から選手へと伝統を継承する時間がなくなっているので、危機感があります。
 だから、OBの柳沢敦(40)、羽田憲司(35)を若いうちにコーチとして呼び寄せました。彼らは選手と年齢があまり離れていないので、兄貴分として鹿島の選手のあるべき姿、鹿島の選手に求められる姿勢について語りかけてくれます。かつて本田や秋田が果たした役割をコーチの彼らに与えたわけです。

――鹿島のことを知り尽くしたOBを継承役として使っているわけですね。

 

鈴木 欧州のクラブでプレーする内田や大迫もその役割を果たしてくれています。OBが帰ってきやすい雰囲気づくりをしていることもあり、彼らはオフになると必ず鹿島のクラブハウスに立ち寄ってくれます。鹿島で練習をすることもあるし、内田の場合は昨年、治療とリハビリのために長い間、滞在していました。そういうときは意図的にいまの鹿島の選手とOBが交わる時間をつくっています。
 監督の許しを得て、OBがチームと一緒に練習する機会もつくります。そのとき、OBは昔話や外から見たアントラーズについて語るでしょうし、「鹿島とはこういうクラブなんだぞ」という話をしてくれるでしょう。そうやって伝統が継承されていきます。このところ監督には鹿島のOBを据えています。
 監督交代にも継承の意味を込めています。2012年にジョルジーニョを監督にしたのは、彼が選手として鹿島でプレーし、このクラブの伝統を熟知しているからだし、ジョルジーニョが家庭の事情で退任せざるをえなくなったときは、一度、鹿島を率いた経験のあるトニーニョ・セレーゾに指揮権を託しました。
 15年のシーズン途中にセレーゾを解任した際は、選手、コーチとして20年以上、鹿島に尽くしてきた石井正忠をコーチから昇格させ、今年は石井監督解任の後を、同じく選手、コーチとして鹿島に在籍してきた大岩剛につなぎました。鹿島を知り尽くした監督がチームを率いることで、伝統が守られていくのです。【鈴木満さん特別インタビュー「学考」】
関連:岩政大樹好評連載「現役目線」