岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ!

 ぼくは岐阜県大垣市に住んでます。
 で、戦国の史跡がそこらじゅうにある関係で、まあ、地の利をいかして、ほかの戦国物を書いている同業者よりはこまめに現地に足を運んでいます。
 それでも面食らうことはけっこうあります。

 姉川の合戦を書くことになった。
『浅井長政』や『お市の方』を書いた関係で小谷城には何度も登ってる。

「そういえば姉川の合戦の前哨戦の横山城ってまだ見てねえな」と、軽いノリで車を走らせたけれど甘かった。
 横山城址一帯が「石田山」と呼ばれているのはわかったけれど、カーナビではどこから行ったものかさっぱりわからない。

 で、地元の観光協会に飛び込んで道を聞いたところ、観光協会の人は真っ先にぼくの足元をみて、「あ、その靴ならのぼれますから大丈夫」と。
 靴によってはのぼれないほど険しいらしい。

 覚悟をきめて登山道へ。そしたらいきなり「サルに注意」と。

 

 ええと、なぜこんな見通しの甘い事前調査で現地に行ったかというと、『信長公記』などの史料類をチェックしたところ、姉川の合戦で、横山城の攻防戦って、ほんの数行しか触れられていない。

 織田軍はちゃちゃっと包囲だけやって、背後の横山城を放置したまま、徳川家康と組んで浅井・朝倉の大軍と姉川で戦った。
 そんな程度のお城なら、ちゃちゃっと済ませられると思うじゃないですか。
とんでもないことでござんした。

 入り口から山頂まで三十分。
 ふつうの三十分じゃない。観光協会の人が最初に靴をチェックしなきゃならんような山道の三十分。きっついっす。

 

 そのかわり、横山城址の山頂からの風景は最高!
 写真ではわかりづらいかもしれませんが、真正面に見えるのが小谷城。平野の真ん中を横切っている緑色の線が姉川。横山城にのぼると、姉川の合戦場が一望できる。

 

 ちなみに古地図や発掘調査などをしらべてみると、ぼくが登ったのは横山城のほんの一部。じっさいは石田山の山系ぜんぶが横山城だった模様。広大すぎて、とても見て回る気力は残ってまへん。

 それにしても、現地踏査をして不思議だったのは、「なぜ織田信長は、こんな広くて堅固な要塞を背後に放置したまま浅井長政と戦ったのか」ということ。
 あと、「なぜ横山城は姉川の合戦後、あっさりと落ちたのか」ということ。
ここいらの「なぜ」を書き込むのが小説の仕事ですわな。