江戸時代後期の松江藩は、沿岸に台場を築くなど、ほかの親藩・譜代大名と比較すると、激動を続ける時流へ対応しようとする意識は高い部類に属した。出雲市河下(かわしも)町の唐川の河口には、文久元年(1861)、松江藩によって造営された河下台場が今日に伝えられる。

 近年、発掘調査と測量が実施され、報告書も作成されたものの、保存・整備方針は未定らしく、現状では案内板さえも設置されていない。知人の城郭研究者が発掘調査前に作成した図面を事前に用意していたため、発見できたが、周囲には人影もなく、なかなかの苦戦が予想された。

 現状は、往時の土塁や基部の石垣がよく残されており、幕末の台場としては、全国的にみても、とても貴重な存在といえる。

 

  とはいえ、この写真では、どこが台場なのか、よくわからない。ということで、以下のようなCG加工を加えてみた。

 

  砲撃から大砲を防御するために盛り上げられた土塁の残存状態を強調するため、青いラインを追加。

 また、大砲の設置状態をイメージするため、当時の大砲の写真を加工して添付。

 

 登場させた大砲の加工前の状態。下関の壇ノ浦砲台に展示される。

 旧式砲のイメージにより、砲身を短めに加工。デジタル撮影された大砲の写真には、ちょうどよい角度がなく、しかもCG加工は成り行き任せの力技含みだったことから、完成まで数時間を要した。

 台場を探査したのち、国会図書館で報告書をコピーしたところ、――恥ずかしながら順序が逆――旧松江藩領には、5カ所近く、遺構の確認される台場があるもようである。