「Dデー」――ノルマンディー上陸作戦決行の日であった1944年6月6日、連合軍優勢の中、ロンメル元帥率いるドイツ軍戦車部隊(装甲師団)の反撃があった。Dデーにいたるまでのロンメル元帥を追う。
演習時、ノルマンディー上陸の先鋒となるアメリカ第101空挺師団の将兵に話しかけるヨーロッパ派遣連合軍総司令官ドワイト・アイゼンハワー大将(中央左、軍帽姿)。連合国では「アイク」の愛称で広く知られていた。

『身にしみて、ひたぶるに、うら悲し』

前回はこちら:「走・攻・防」に秀でた第二次大戦期のドイツ軍戦車

 1944年6月4日の夜、ヨーロッパ派遣連合軍総司令部の首脳陣は、前進指揮所に徴用されていたポーツマス郊外の白亜の断崖の上に建つ大邸宅、サウスウィックハウスの荘厳なヴィクトリア朝様式の書斎に集っていた。

 最新の気象情報が発表される定刻の21:30、重厚なオーク材で設えられた歴史を感じさせるドアが開くと、ヨーロッパ派遣連合軍総司令官ドワイト・アイゼンハワー大将(アメリカ陸軍)が姿を見せた。そしてその直後、司令部付き首席予報官ジョン・スタッグ大佐(イギリス空軍)以下3名の気象予報官も入室した。

「ここ数日来続いている荒天は、今晩から6日の朝方にかけて一時的に収まりそうです。しかしその後はまた下り坂ですが・・・・」

 こう報告したスタッグら気象予報官が退出すると、アイゼンハワーは作戦決行派の連合軍地上軍総司令官バーナード・モントゴメリー大将(イギリス陸軍)や、輸送艦艇の燃料残量の都合で、決行または中止のどちらでもよいから早急な決定を求めている連合軍海軍総司令官バートラム・ラムゼー提督(イギリス海軍大将)らと活発な議論を15分ほど交わした。

 そしてアイゼンハワーは言った。思いつめた面持ちに決意をみなぎらせた瞳で。
「私は作戦の決行を望む。だが、気象状況のせいで私はまだ逡巡している。しかし、もう待てないのだ。だから私に選択の余地は残されていない。諸君、Let's Go!」。

 6月4日21:45、ノルマンディーへの上陸が6日早朝に決まった瞬間である。
実はすでに1日から3日間に渡って、BBCラジオ・ロンドンはポール・ヴェルレーヌの『秋の歌』の第1節前半を、ドイツ占領下のフランスに向けて放送していた。

『秋の日の、ヴィオロンの、ため息の』
これはフランス国内の各レジスタンス組織に反攻が間近なことを伝え、行動準備を整えさせるための暗号であった。
『身にしみて、ひたぶるに、うら悲し』

 第1節後半は、5日の12:15から時間を置いて4回に渡り放送された。こちらは各レジスタンス組織に反攻が24時間以内に迫ったことを伝え、行動開始を命ずる暗号である。

 5日の真夜中近く、英仏海峡をノルマンディー海岸に向かって進む巨大な侵攻船団の頭上を、多数の航空機が発する鈍い爆音が覆った。全侵攻部隊の先鋒となるアメリカとイギリスの3個空挺師団を運ぶ輸送機の大編隊が航過したのだ。最後の1機が飛び去る間際、胴体の辺りで発光信号が明滅した。短く3回、そして、最後に長く1回。
「“V”for Victory・・・・」

 誰かが呟いた。それを見ていたすべての船上の将兵が、アルファベットの「V」――チャーチルによって広められた勝利の指サイン――のモールス信号であることを、読み取っていた・・・・。

◎次回は7月19日(水)に配信予定です。