イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 文政六年(1823)の春、宇田川町に若鶴、白滝という二軒の水茶屋が開業した。
 若鶴の看板娘は十八、九歳、白滝は三十歳くらいだったが、ともに絶世の美女だった。それぞれ、看板娘のほかに二、三人の女中を置き、客に茶を運ばせた。

 当初はそれほどでもなかったが、いつのまにか評判が広がって客がつめかけるようになった。座敷では酒や料理も出し、芸者を呼んで宴会も開くようになった。こうなると、客筋は金のある豪商の隠居や、諸藩の留守居役などにかぎられ、一般の客はとても立ち寄れなくなった。
 しだいに店構えも派手になり、表の間口はわずか三間ほどだが、奥行を二十間ほどに広げ、たくさんの座敷に仕切った。その座敷で茶屋女が客を取るようになり、「ちょんの間」が金三分、月ぎめの契約が五両だった。

 若鶴と白滝はますます繁盛し、二朱や一分を出したくらいでは看板娘は顔も出さず、ほかの茶屋女が相手をした。
 諸藩の家老などが若侍ひとり、草履取りひとりを供にしてお忍びで訪れた場合など、家老には看板娘が出て、若侍には金二朱か銀十匁の女が相手をし、草履取りには上州や房州あたりから出てきたばかりの三十四文くらいの田舎娘が相手をした。こうして、主従ともども大満足というわけである。
 そのうち、若鶴と白滝の裏手に料理屋が二軒でき、仕出し料理も取れるようになった。一帯には幇間や芸者が行き交い、またたくまに遊里に変貌した。

 そのころ、あちこちで盗みを働いていた盗賊が町奉行所に召し捕られた。盗んだ金の使い道を問われ、盗賊は、「宇田川町の若鶴と白滝でほとんど使い果たしました」と、答えた。
 これがきっかけで、町奉行所が乗り出し、究明することになった。

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