岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ!

光秀の出身地をゆく……徒歩はきついよ!

 この連載をやってていつも痛感するのは、戦国武将の健脚ぶり。拙宅のある岐阜県大垣市は海抜がひくく、いつも洪水に悩まされてきた記憶があるんですが……でも地図をみればわかるとおり、岐阜県は9割がたが山地です。

 岐阜県恵那郡明智町はその名の通り、どうも明智光秀の出身地らしい。──らしい、というのは、岐阜県可児市にも明智城があるので。
 今回は恵那郡明智町のほう。けっこう山深いところで、なかなか雰囲気があります。

明智駅

明智光秀は
「信長と同世代で勤勉で真面目すぎるぐらい真面目だったんで信長にキレた」
ってなイメージがありますが、実のところ、これは司馬遼太郎「国盗り物語」の影響のようです。
 足利義昭を織田信長に引きあわせる以前の前半生はよくわかっていませんし、実は何歳なのかも諸説あってよくわからない。
 わからないことがいろいろあるからこそロマンがある。

 明智町は何年か前から既存の建物を活かして、「大正村」というまちづくりをコツコツとやっています。
 大正ロマンのかおりのする建物が残っていますんでね。
 わりとコンパクトにまとまって、つい散策してしまいます。

大正村

 明智光秀の廟所(墓所)は臨済宗妙心寺派の「大明山龍護寺」にあります。
「廟所」なのに鳥居があるところが時代を感じさせますね。忘れがちなんですが、神様と仏様を分けるようになったのは明治にはいってから。

光秀廟所

 ところがこの大明山龍護寺、遠山の金さんこと、遠山左衛門尉景元の墓所でもある。遠山家累代の菩提寺なんですな。

遠山家菩提寺

 ちなみついでに明智城跡もあったんですが、これは徒歩でしかゆけず、気力が折れました……。運動不足はいけません。