いまいち洗練されていない名古屋文化。全国的な美術展でも、名古屋はなぜか素通りされることが多い。 清水義範氏が『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)でその理由を分析する。

◆「ゴッホより、普通にラッセンが好き」な名古屋人

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 名古屋の悪口を言う時に、しばしば出てくるのが文化性のなさである。わかりやすく言えば、名古屋には立派な博物館、美術館が少なく、大きな美術展などもあまり行われていない、ということだ。芸術とか美術に対して大都市の割には感度が鈍いと、よく言われる。

 確かにそういうところがあるかもしれない。

 京都や東京で開かれる有名画家の美術展が名古屋へはやってこない、ということもしばしばある。美術展のための行列が数百メートルも並ぶ、というような状況は名古屋ではあまりないようだ。

 しかし、その理由はもう明らかであろう。功利主義的で、何にでも実利を求める名古屋人にしてみれば、芸術はちょっと遠いところにあるものである。芸術に触れて、どういう得があるんだ、と考えてしまったら、どうしたって態度が冷たくなるのだ。

 美術よりも実業のほうを名古屋の人は重く見るのだから。

 そこで思い出すのは、カルト芸人の永野が叫んでいる次のギャグだ。

「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き」

「ピカソより、普通に、ラッセンが好き」

 あのギャグは、本来は、そういうことを言いそうな芸術的センスのない人を笑っているのである。本当にそう思っている人が案外いるんだよね、という面白さなのだ。つまり、ゴッホや、ピカソのわからない人には、ラッセンの、海とイルカを描いたポスターみたいな絵がいいんだろうなあ、という嘲笑のギャグなのだ。

 ところが、あれをギャグではなく、本当にそうだな、と受け止めてしまって、あれをラッセンをほめている言葉だと思っている人がいそうな気がする。あのギャグが出て、ラッセンの人気があらためて高まったりしているらしいのだ。ギャグの意図が逆に受け止められていると言ってもいい。

 そして、私はそういうのを、名古屋的かもしれないと思うのだ。名古屋の人なら、本気でこういうことを言うかもしれない。

「そりゃ確かにそうだわ。ラッセンの絵なら部屋に飾っといても、きれいで、見ばえがするがや。ゴッホやピカソはよさが誰にもわからん」

 それが、芸術にセンスのない名古屋人の実感ではないだろうかと思うのである。

 認めてしまおうではないか。名古屋の人はどうも芸術の価値に感度が鈍いのである。

 しかしその分、実質的な価値はよくわかり、そのことばかり考えていると言っていいくらいであり、不都合はないのである。

 そして、名古屋人は新しいものをどんどん受け入れていくところがある。

名古屋めしの歴史や、名古屋が第三の地域である理由は『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)に詳しい。