人はどのようなとき宗教を求めるのか? 「宗教のテーマは現世利益ではない」と語る南直哉禅師。約20年の修行を積み恐山・院代となった同師が上梓する『「悟り」は開けない』で語られるアウトサイダー仏教論。「悟り」とは何か――、そして「仏教」とは何か、その本質がわかる。

人が「宗教」を求めるとき

 今の世の中、教養や一般的知識として知りたいという需要とは別に、人が「宗教」を求めるとしたら、どういうケースでしょうか。

 すぐに思いつくのは、「初詣や合格祈願で神社仏閣に参拝する」とか「お葬式や法事をお坊さんにしてもらう」、あたりだろうと思います。

 しかし、これは「宗教」というよりも「信心」、いやその意識さえ薄い「習俗」「慣習」レベルの話かもしれません。期待されているのは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」程度の“現世利益”でしょう。私が今回お話しようと思うのは、このレベルとは別の話です。

 すると次に出てくるのは、もはや「自分」の力や「人間」の能力では解決のつかない苦しみや悩みから救ってほしい―、という“願望”です。おそらく、一般的に、あるいは普通にイメージする「宗教」が立ち現れてくるのは、この局面です。それはすなわち、「霊感商法」が跋扈し始める局面とも言えます。いわく、「このお札を買えば金運がつく」「先生の手が触れると病気が治る」「御祈祷すれば縁談が来る」……。

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