バブル当時からその崩壊、そして現在へ、宗教を求める人の心理は変化してきた。約20年の修行を積み恐山・院代となった南直哉禅師が上梓する『「悟り」は開けない』で語られるアウトサイダー仏教論。「悟り」とは何か――、そして「仏教」とは何か、その本質がわかる。

「焦っている」から「強い不安」、そして「居場所がない」へ

 バブル崩壊以降の日本で、オウム真理教事件をはじめ、様々な宗教の活動が善きにつけ悪しきにつけ世上で注目されたり取りざたされたりし、また昨今、仏教や瞑想がそれなりのブームとなっているのを見るとき、宗教にアクセスするこれら人々の需要は、単に「現世利益」にあるのでしょうか。もし、そうでないなら、今の需要は、私の考える「普遍宗教」の問題設定にリンクしているのではないでしょうか。

 私は今まで、老若男女、様々な人たちと話しをする機会がありました。
 バブルの頃、私の修行する道場にやって来た人たちは、何か「焦っている」ように見えました。とにかくどこかに早くいくために、より「強く」ならなければいけないかのようでした。

 バブルが崩壊してからは、「頭を空っぽにしたい」「本当の自分を見つけたい」と言う人が増えたように思いました。彼らには、何か静かだけれど、強い「不安」があるように、私には思えました。

 ところが、21世紀も10年が過ぎ、象徴的には東日本大震災と福島原発事故前後から、もはや「不安」というより、なんとなく人々が茫然としている感じがするのです。ときどき聞くのは「居場所がない」という言い方です。

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