新国立競技場計画、白紙とし再検討へ。
当初見積もりの1625億円から2520億円に
大幅な経費アップが問題となり、
世論に押される形で安部首相が決断、ということです。
まぁ当たり前ですよね。
ロンドン五輪の競技場だって建設費800億円とか。
最初っからその2倍かかるっていう
取っかかりからしてダメですよね。
そんな金があるなら、消費税下げて復興予算も増やさなければ。

この件について競技場建設に肩入れしていた森元首相は
「俺には責任はない。国はたった2500億も出せないのか」
とのたまったとか。
百歩ゆずって責任うんぬんはまぁいいとして、
「たった2500億」はいただけません。
国が出す金のもとは納税者ひとりひとりの
血と汗と涙の結晶ですよ。それがまったくわかっていない。
マリー・アントワネット王妃は貧困にあえぐ庶民に
「パンがなければケーキを食べればいい」と言ったそうですが、
まさにそのまんまの庶民感覚とズレっぷりで
生きてらっしゃるのでしょう。
この方、昔からその無神経な言動が
世間の反感を買っていますが、治りませんねぇ。

今から399年前の元和2年6月7日
(現在の暦で1616年7月20日)、本多正信死去。
徳川家康の謀臣、ふところがたなとして
徳川幕府の成立と安定に大きく貢献した正信は、
この日午の刻=正午ころに他界した。
『寒松稿』にはにわかに逝ったとあり、
これが本当なら脳卒中や心筋梗塞がうたがわれるところだが、
『上杉家御年譜』は3月から老病にかかっていたとしているから、
おそらく老衰で弱ったところに
4月17日に家康が死去してしまったため、
ガックリと来て死期を早めたのだろう。
それなら「にわかに」という表現も納得できる。
あるいは老病になったのも、
家康病臥のショックによるものだったかもしれない。

正信の死について金地院崇伝は細川忠興に
「全身の力が抜けてしまい、
横臥した状態でこの手紙を書いている」と知らせているが、
正信とともに初期の幕政に尽力し
「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝としては、
同志の死は身を切られるようにつらいことだったのだろう。
正信や崇伝、天海や大久保長安と、
家康の周囲は多士済々のアドバイザリースタッフがいたが、
なかでも正信はつねに家康の左右に侍って
謀議をめぐらせた仲。その死までほぼ同時とは、
参謀・補佐役の鑑といえる。

新国立競技場でラグビーW杯をという森さんの夢も、
一国の総理までつとめた栄誉も、
まさに「シンキロウ(森喜郎)」となってしまいました。
彼にも正信のような補佐役がいれば
少しは暴言も減るのかもしれませんが、
補佐役の方も仕える主君を選ぶ権利がありますからねぇ。
家康のような器量を備えるのが先か、
いい参謀をスカウトするのが先か、
ニワトリと卵のような話ですな。