イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 庶民のほとんどが住んでいた裏長屋では、住民は用便には路地の奥にある共同便所(総後架)を利用した。
 いわゆる戸建の家には便所があったが、外便所が多かった。同じ家屋内ではなく、庭などに別に便所をもうけたのである。当時は汲み取り式だけに、匂い対策もあって、できるだけ住居から離したのであろう。
『写山楼之記』に、つぎのような話が出ている。写山楼は、絵師・谷文晁の屋敷のことである。

 文化二年(1802)八月のこと。谷文晁の屋敷で、下女のひとりが毎晩のように鬼の夢にうなされた。そのうなされようがひどいため、奉公人のあいだで噂になり、文晁の耳にもはいった。
 文晁が下女を呼び寄せ、たずねた。
「そのほう、毎晩、鬼の夢を見るそうじゃな」
「はい」
「夜中、小便に行くとき、雪隠ではなく、途中の庭でしておらぬか」
「けっして、そんな不作法はしておりませぬ」
 下女は強く否定した。なおも文晁がたずねた。
「嘘をつくと罰があたるぞ。正直に申せ。おそらく、モチノキの木の根元に小便をしておるであろう。どうじゃ」
「はい、じつは、雪隠まで行くのは怖いので、ついモチノキの根元でしておりました」
 とうとう下女も庭で小便をしていたことを認めた。

「やはりそうか。たしかめてみよう」
 文晁は下男に命じて、下女が小便をしていた場所の地面を掘らせた。すると、京都二月堂の鬼瓦が出てきた。
 その鬼瓦をきれいに洗い清め、あらためて床の間に安置したところ、その晩から、下女は鬼の夢にうなされることはなくなった。

 

 電気もなかった当時、夜中に女が外便所に行くのは怖かったであろう。男でもつい、庭の木の根元で立小便をしたくなったかもしれない。
 江戸では、男が立小便をするのは当たり前だった。女も道の隅などで平気で着物の裾をまくってしゃがみ、小便をした。そんな女の小便の光景を描いた春画は少なくない。陰部まで詳細に描き、じつにリアルである。

 それにしても、谷文晁の推理は見事である。かつてモチノキの根元に鬼瓦を埋め、それがうっすらと記憶にあったのかもしれない。