一度出家した身でありながら女性にして当主となり、井伊家を繁栄に導いた女領主・井伊直虎。
名将たちが激しい攻防を繰り広げた静岡の地の小領国から出た一族は江戸幕府を支える名家となった。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代考証を務める小和田哲男さんに直虎の波瀾に満ちた生涯を聞いた。

相次ぐ危難に見舞われた井伊谷の人々の奮闘

小和田哲男 大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代考証を担当。

 学生時代、私が戦国時代を本格的に研究するようになった最初のテーマは、『今川氏家臣団の研究』でした。当然、今川の家臣に井伊家という存在があり、その研究も進めていて、昔から井伊谷(いいのや)城や三岳(みたけ)城にもよく登ったものです。

 30年ほど前、井伊谷がある引佐(いなさ)町(現在は浜松市北区)の町史編纂を依頼されました。その時に井伊谷村や渋川村など、いろいろなところを調査して回り、『井伊家伝記』や『龍潭寺文書』と出合いました。

井伊直虎 許婚の直親が今川氏真により謀殺されると、“直虎”として井伊家の当主となる。龍潭寺蔵

 特に井伊家伝記には『次郎法師は女にこそあれ井伊家惣領』とあり、井伊直盛の娘である彼女が『直虎』を名乗り、一時的な井伊谷の支配者であったことなどが分かったのです。これが、いわば直虎と私の「出会い」といえるでしょう。

 当時、無数の国人領主(国衆)がひしめいていたなか、井伊谷の領主・井伊家は先読みが下手な領主だったと思います(笑)。

 南北朝の動乱では敗者になった南朝側についたり、一時は今川氏の敵方の斯波(しば)氏に味方しました。ようやく今川に頭を下げ、なんとか存続したかと思えば、桶狭間の戦いで今川が負けてしまいます。昨年のドラマ『真田丸』で話題になった真田家とは正反対に、立ち回りがうまいタイプではなかったんです。

 その動乱のさなか、次郎法師(直虎)の父、井伊直盛も桶狭間の戦いで戦死してしまいます。次期当主で許婚(いいなずけ)でもあった直親(なおちか)も今川家に謀殺されるなど、井伊家は相次ぐ男子の死に見舞われ、跡を継げる者がいなくなるのです。

 直親の子で虎松(後の直政)という男の子がいるのですが、まだ2歳で、家督を継ぐにはあまりにも早すぎる。そこで龍潭(りょうたん)寺の南渓(なんけい)和尚の尽力もあって、次郎法師が直虎と名乗り『おんな領主』となるわけです。

龍潭寺 井伊家の菩提寺であり、直虎が出家して修行を積んだ寺。寺号は直虎の父、直盛の法名にちなむ。江戸時代に小堀遠州が作庭したと伝わる「龍潭寺庭園」もある。(浜松市)
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