現在の静岡は、戦国名将たちにとって、領国を広げるために激戦を繰り広げた場所でもあった。直虎も乱世に翻弄されながらも時代を生き抜き、その知恵と決断によって井伊家を存続させている。静岡に点在する戦国ゆかりの地を訪れ、かつての名残を感じてみてはいかがだろうか。

乱世の舞台となる東海地方、井伊家もまた戦乱の渦に

 長享元年(1487)、伊勢宗瑞(北条早雲)は駿河・今川氏の家督をめぐる争乱で貢献し、その功により駿河国・興国寺城(沼津市)主となった。明応4年(1495)に宗瑞は小田原城の攻略に成功し、戦国時代がはじまる。

静岡浅間神社 駿河国総社。徳川家康が武田氏攻略のため社殿を焼き払い、勝利した後に再建したという。また、家康が元服式を行った場所としても有名である。(静岡市)

 当時の東海地方には、相模の北条氏をはじめ、駿河の今川氏、三河の松平氏(徳川氏)、尾張の織田氏などが群雄割拠していた。駿河の今川氏は、代々駿河の守護職を務めた名門で、駿河府中(静岡市葵区)の今川館(のちの駿府城)を本拠としていた。今川氏は代々静岡浅間(せんげん)神社(静岡市葵区)への崇敬が厚く、寺領寄進も行っている。 

 11代当主の今川義元は「海道一の弓取」と称されるほど武芸に優れ、武家家法の「今川仮名目録追加」を制定するなど、為政者としても優れた手腕を持っていた。しかし、永禄3年(1560)、義元は桶狭間で、織田信長の急襲を受け横死。これにより今川氏は没落し、織田氏、松平氏(徳川氏)の台頭を許してしまう。 

井伊谷城跡 初代井伊共保によって築かれ、井伊氏の居城となった山城。南北朝時代には、後醍醐天皇の皇子を迎えている。現在では城山公園として整備され、土塁などの遺構が残る。(浜松市)

 今川氏の配下にあったのが井伊氏である。井伊氏の初代は井伊共保といい、寛弘7年(1010)に誕生した。その後、井伊氏の子孫は井伊谷城を築き、付近一帯を支配した。 

 天文3年(1534)頃、井伊直盛の娘として誕生したのが次郎法師直虎である。直盛には後継者となる男子がいなかったため、従兄弟の直親を直虎の婿に迎える予定だった。ところが、天文13年、直親の父・直満が小野政直の讒言(ざんげん)によって、今川家への謀反の疑いを掛けられた。その結果、直満は今川氏により自害に追い込まれてしまう。今川家の追及を恐れた井伊家は、まだ幼かった直親を信濃の松源寺に逃亡させ、難を逃がれた。

井殿の塚 井伊氏家老、小野政直の讒言により、直虎の大叔父にあたる井伊直満・直義兄弟は今川義元に討ち取られる。兄弟を供養するために塚を築き、松が植えられたという。(浜松市)
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