現在の静岡は、戦国名将たちにとって、領国を広げるために激戦を繰り広げた場所でもあった。直虎も乱世に翻弄されながらも時代を生き抜き、その知恵と決断によって井伊家を存続させている。静岡に点在する戦国ゆかりの地を訪れ、かつての名残を感じてみてはいかがだろうか。

家康の助力で井伊谷奪還も、武田の猛攻に遭い侵攻を許す

 直虎が井伊家の家督を継承した直後の永禄9年(1566)、井伊家の力を弱めるため、今川氏真は井伊谷一帯に徳政令を発布。直虎は井伊谷の状況などを考慮し、2年間にわたって徳政令の執行を見送ったが、ついに永禄11年に徳政令の執行に踏み切った。 

掛川城 今川、武田、徳川軍による争奪戦が繰り広げられた城。信玄の駿河侵攻で、駿府を追われた今川氏真がこの城に逃げ込んだ。日本初の本格木造天守として復元されている。(掛川市)

 さらに直虎を悩ませたのが、家臣の小野道好(政次)の専横である。永禄11年、甲斐の武田氏が駿河に侵攻した際、今川氏真は道好に井伊谷に攻め込むよう命じる。命を受けた道好は井伊谷城を占拠。直虎は城主の立場を失った。龍潭寺に身を寄せた直虎は虎松(のちの万千代、直政)を守るため、出家させるという名目で、三河国鳳来寺(愛知県新城市)へ逃れさせた。 

引間城跡(浜松元城町東照宮) 岡崎城から浜松へと拠点を移した徳川家康は、引間城を拡大して浜松城を築く。現在この地には、家康を祀る浜松東照宮が建っている。出世のパワースポットとして人気。(浜松市)

 道好が井伊谷を支配しはじめた直後、徳川家康が遠江への侵攻を開始。家康は井伊谷三人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)の手引きにより、井伊谷を攻め落とす。敗北した道好は処刑され、直虎は井伊谷を奪還した。永禄12年、氏真は家康の攻勢に屈し、逃れていた掛川城を開城。元亀元年(1570)、家康は引間城(浜松城)に入城し、武田氏の侵攻に備えた。

 井伊谷を取り戻した後も直虎の苦難は続く。元亀3年、武田氏が信濃を経由して、井伊谷に攻め込んできたのである。一族の井伊直成は仏坂の戦いで武田勢に敗れ討死。井伊家は戦国最強の武田氏に屈し、井伊谷城は山県昌景の占拠を許した。さらに、井伊家が頼りとする織田・徳川連合軍は、三方ヶ原の戦いで大敗を喫し、武田氏の西進を許すのである。

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