いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか?
プラトン(向かって左)とアリストテレス。

政治家を志していた時代

 理性と論理に基づく「イデア論」を提唱したプラトンは、ポピュリズムによって殺されたソクラテスの教えを膨大な量の書物に書き残し、地位を捨てて身の危険を冒してでも親友の想いに答えようとするような、情熱的な生き方をした男でもあった。

 紀元前427年、プラトンはアテネの名門貴族の子として生まれた。母方の先祖はアテネの改革を行った政治家ソロンの一族に繋がり、親戚には国政の中心を担った「三十人政権」の政治家クリティアスとカルミデスがいる。
 プラトン自身も最初は政治家を志していた。20代の頃には実際に一族から政治への参加を誘われたこともあったという。
 そんな中で起きたのが師であるソクラテスの裁判と死である。プラトンはこれに人生を変えるほど大きな衝撃を受ける。


ソクラテスとの出会いと哲学への決心

 名門貴族の子弟として学問、絵画、音楽、体育の教育を受けた子供の頃のプラトンは、立派な体格に恵まれてレスリングを得意としていた。だが、声が小さく、絵を描いたり詩や物語を書くことが好きな、繊細で気弱な文学青年でもあった。 ちなみに「プラトン」というのは「立派な体格をしている」を意味する言葉からつけられたあだ名で、本名はアリストクレスといった。
 プラトンがソクラテスと出会ったのは20歳の頃である。現代でいう「作家志望の文学青年」だったプラントンは、悲劇の原稿を書き上げ、賞に応募するために劇場へ向かった。その時、たまたま劇場の前で対話をしていた50代後半のソクラテスの議論を聞き、衝撃のあまりその場で持っていた原稿に火をつけて燃やし、即座に弟子入りを決意する。
 一方、ソクラテスは前の晩に夢の中で、膝に抱いた白鳥の雛がたちまち羽を生やして美しい鳴き声をあげながら飛び去っていくという光景を見ていたが、プラトンこそが夢に出てきた白鳥に違いないと直感していた。どちらとも、相手に運命を感じていたのだろう。