歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

 今回は、明治維新を主導した松下村塾の志士を四柱推命鑑定し、どんな性格だったのか、なぜ明治維新で活躍できたのかを読み解く。
吉田松陰高杉晋作の鑑定結果は、BACK NUMBERをご覧ください

○吉田 稔麿(よしだ としまろ)1841-1864
 生年月日:天保12年閏1月24日(1841年3月16日)

 まずは、久坂玄瑞、吉田松陰とともに三秀と称される吉田稔麿を鑑定する。稔麿は16歳で入塾。間部詮勝暗殺計画に加盟、松陰の投獄に抗議して家囚となった。一度塾の門下との交わりを絶ったが、その後、高杉晋作が設立した奇兵隊に参加している。池田屋事件で新撰組と対峙し24歳で討死した。

 日柱の干支は「己卯(つちのとう)」。春の畑を表す。穏やかで何かを育てることが好き、殊に種まきが得意、そんな部分を持っていたのだろうか。若くして亡くなったが、仮に長く生きたとしたら、師匠の松陰のように、人を育てることに全力を注いだかもしれない。
 続いて、通変星、十二運星から性格を読み取っていく。

「偏官(へんかん)」…行動的、攻撃的な星。考える前に行動する。命式表に2つ持っていることから、その性質が強まっていることが考えられる。

「食神(しょくじん)」…おおらかでみんなで遊ぶのが好き。楽しくないことはやりたくない子供っぽい性格。この星を3つ持っていることから、わかりやすく無邪気な性格だった可能性がある。

「病(びょう)」…芸術の星。神秘的なものを好み、ムードメーカーでもある。

「墓(ぼ)」…ご先祖との縁が深く、墓守りの役割を持つ。凝り性。

 以上をまとめると、攻撃的な部分と、おおらかで子どもっぽい部分が入り混じった、わかりやすく面白い性格だったのでは?と推測できる。しかし、文献によると、無駄口は利かず、謹直重厚な人物であったという。もしかしたら無理をして自分を作っていたのかもしれない。

 稔麿が松陰に弟子入りした際、松陰は学力を試験する目的で、韓退之の「城南に読書す」という文章を稔麿に読ませた。読むには読んだが読み終わるなり「ぼくはこんなことを学びにきたのではありません」と不満げに話したという。

 その後も松陰が示した本に対して浮かぬ顔をして批判的な質問を繰り返した。松陰は非常に喜び、稔麿こそ何のために学ぶのかを明確に知っている少年であると考えたそうだ。思ったことは、相手が誰であっても素直に口に出し、納得するまで追求する、そんな子供っぽい部分を持っていたのだろうか。

 以前松陰を四柱推命鑑定したが、松陰も「食神」を2つ、「偏官」を1つ持っていた。行動的、攻撃的である反面、おおらかで興味のあることを追求したい、その部分で松陰と似た性格だったのかもしれない。

 後に同窓の品川弥次郎が「稔麿が生きていたら総理大臣になっただろう」と語ったと言われる。さぞかし無念の死であっただろう。