みんなが納得する公平公正な判定をする。大相撲の「取り直し」が日本らしいのはなぜか? 土俵は日本社会の縮図である――元大相撲力士・舞の海が著書『大相撲で解く「和」と「武」の国・日本』では「相撲」通して「日本とは何か?」を考える。

「取り直し」という、日本らしさ

 大相撲は、判定の際、決して勝敗の二者択一にはこだわりません。「同体」という見解があり、「取り直し」というシステムがあります。「取り直し」がルール化されたのは、大正14年(1925)のことです。

 テレビなどでご覧になったことがあると思いますが、土俵上で審判長が経緯を説明して、その場で取り直しを行います。これもまた審判員の承諾のもとで行司が采配するのですが、長時間、勝負がつかずいったん土俵から離れてインターバルをとることを「水入り」といい、水入りを2回繰り返しても勝負がつかない場合には、二番後にふたたび両力士が立ち会います。

 勝負がつくまで何時間でも取組を続けた時代もありましたが、現在では、二番後の取組で決着がつかなかった場合には引き分けとなります。

 勝者、敗者、観客の、みんながみんな納得する、近江商人の「三方よし」を地でいくような裁定を目指して、協議を重ねて解決していくのが大相撲です。

 勝負には遺恨がつきものですが、できるだけ遺恨を残さないようにする、そのために、大相撲は公正公平を追求します。

 ビデオ判定をいちはやく導入しているのも、これが理由です。勝者、敗者、観客の思い、すべてを土俵のように丸くおさめるための、公正公平です。

 大相撲は、そのためには、できることは惜しまずにやってきました。きわめて日本らしい考え方だと私は思います。

 勝敗については、このような考え方が大相撲にはあり、だからこそ、力士のモラルというものが、暗黙のうちに保たれているのだと思います。勝負がついても土俵をおりずに、いつまでも行司に文句を言っているような力士はいません。げんかつぎでほんの少しの間だけ顔に刃物をあてないことはあるにしても、髭をのばす人もいません。髪の毛を染めてくる力士もいません。

 私の師匠は第50代横綱・佐田の山です。平成29年(2017)4月に79歳で他界しました。昔、私は師匠に、「力士は髪を染めたら駄目なんですかね」と尋ねたことがあります。師匠は「モラルの問題だ」と答えただけでしたが、その“モラル”というたったひとことにも、厚い背景があるわけです。

 日本は他の国と比較して、モラルの高い国だと言われます。道端に置いてあっても自動販売機が盗まれるわけではありませんし、お年寄りが電車に乗ってくれば席を譲ります。財布を拾ったら交番に届けます。

 このような、外国人には理解が難しいとよく言われる、日本人に自然に身についているモラル、礼儀正しさなどの背景には、日本の文化や社会の長い伝統、積み重ねてきた仕組みの工夫があり、それがあってはじめて暗黙の了解があるのです。これもまた、大相撲から見えてくるのではないかと私は思います。

『大相撲で解く「和」と「武」の国・日本』より構成〉