いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? ソクラテスの一番弟子とも言われる「プラトン」に迫る中篇。
プラトン(向かって左)とアリストテレス。

放浪の旅路で出会ったディオン

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 ソクラテスの死後、プラトンは長い間アテネを離れて海外を放浪していた。ソクラテスが死んだとはいえ、弟子たちにも危険が及ぶ可能性があったようだ。
 まず、アテネからさほど遠くない地のメガラという都市国家に、ソクラテスの弟子エウクレイデスを訪ねて数年の間身を寄せた。その後、現在のリビアにあるキュレネ、南イタリア、エジプトへと放浪を続けた。
 この旅の間、プラトンはピュタゴラス学派の哲学者やエジプトの学者と会って様々な議論をし多くの知識を学んだ。そして「ソクラテス」という登場人物を主人公にした対話篇を書き始めたのである。

 アテネを離れてから約12年が経ち、40歳になったプラトンはシチリア島を訪れた。当初は、島とエトナ山の見物のためだったが、ギリシア人植民都市シュラクサイ(現在のシラクサ)の独裁者ディオニュシオスに頼まれてしばらく滞在することとなった。
 この地で、プラトンはディオンという当時20歳の青年と運命の出会いを果たす。ディオンはディオニュシオスの親戚で、政治の補佐をしていた。シュラクサイを訪れたプラトンの教えを誰よりも熱心に聞き、すぐさま理解して、人生を賭けてプラトンの理想国家を実現させることを心に決めたという。

 当時のシチリア人は美味しい料理を毎日お腹いっぱい食べて快楽に耽る生活をしていたが、そんな享楽的生活はプラトンにとってあまり好ましいものとは思われなかった。一方、ディオンは、プラトンの影響を受けて、快楽よりも美徳を優先させた生き方をするようになる。そんなディオンの瑞々しい知性を、プラトンも認めるようになっていく。やがて二人は、同性でありながら「愛人」として愛し合う関係になったようだ。