イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 品川宿で餅菓子屋をいとなむ夫婦がいた。亭主は清兵衛といい二十一歳、女房はお粂といい十八歳で、ふたりは周囲がうらやむほど仲がよかった。
 お粂は妊娠中の弘化三年(1846)十二月七日、身重のままあえなく病死し、菩提寺である麻布白金の覚林寺の墓地に葬られた。

 女房の死去に気落ちしてしまった清兵衛は仕事も手につかず、生計も成り立たない状態となってしまった。心配した親戚が家に引き取り、面倒を見てやったが、清兵衛は相変わらず放心状態だった。
 そうするうち、清兵衛はひとりで覚林寺を訪れ、住職に申し入れた。
「死んだ女房が毎晩、夢枕に立ちます。あたくしに執着しており、成仏しきれないようです。あたくしはいっそ出家しようと思いますので、どうか頭を剃ってください」
「そんなことで軽々しく出家するものではございませんぞ」
 住職は剃髪するのをことわった。

 翌日、清兵衛が親類にともなわれてふたたび覚林寺を訪れた。親類が住職に頼んだ。
「乱心しておりまして、どうにもなりません。いったん頭を丸めて仏の修行をすれば元に戻るかもしれません。どうか、お願いします」
 そこで、住職も清兵衛の頭を剃ることに同意し、しばらくのあいだ寺に置くことになった。

 十二月十六日の夜、清兵衛はひそかに寝床から抜け出すと、墓地で女房の遺骸を掘り出した。そして、剃刀で自分の陰茎を切断するや、それを女房の手に握らせてから、また遺骸を埋め戻した。
 翌朝、清兵衛は住職に血だらけの股を見せた。
「死んだ女房がいまだに夢枕に立ちます。こうなれば、へのこを切り取って持たせるしかないと思い、こうしました」
 驚いた住職は即座に清兵衛を寺から追放するとともに、芝田町の医師村村越宗玄に切断した陰茎の治療をさせた。

『椎の実筆』に拠ったが、陰茎を切断したあと、出血をどうやって止めたのであろうか。根元を手ぬぐいなどで縛って血止めをしたのだろうか。
 清兵衛は精神に異常をきたしたわけだが、生前、夫婦仲がいかに睦まじかったかの証拠であろう。とくに性生活は充実していたに違いない。だからこそ、「死んだ女房が俺の陰茎に執着している」という妄想をいだくようになったのであろう。
 なお、当時は土葬が主流だった。お粂は十二月七日に死に、十六日に死体を掘り返したことになるが、寒い時期だけにまだ腐敗は進んでいなかったと思われる。