イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 誰もが主人公や、おおまかなストーリーは知っているが、原典は読んだことがないという古典は数多い。そんな例のひとつが十返舎一九の『東海道中膝栗毛』であろう。いわゆる弥次さん喜多さんの滑稽道中である。
 筆者も子供のころ、漫画や子供向けのダイジェスト本で読み、それでもう読んだ気になっていたから、いまさら原典を読もうとは思わなかった。
 ようやく日本古典文学大系(岩波書店)の『東海道中膝栗毛』を通読したのは中年になり、時代小説を書き始めてからである。当時の東海道の宿場や旅籠屋の実態を知りたいと思ったからにほかならない。
 読み始めて、その内容に愕然とした。

 弥次喜多の演じる滑稽のほとんどは、身体障害者など社会的弱者に対するいたずらや、からかいなのだ。もちろん、最後にふたりはしっぺ返しを受けるのだが、読んでいてとても「滑稽」とは感じられない。むしろ、不快になってくる。現代でいうところのユーモア小説ではない。
 教科書にも書名が登場するほど有名でありながら、現代語訳が出版されないはずである。漫画やダイジェスト本でしか出せないということであろう。それはともかく――
 先述したようにほとんどの人が通読していないであろうから、弥次喜多のふたりが旅に出発するまでの経緯を述べよう。そのでたらめさはあきれるほどだが、当時の性生活の典型のひとつであるのは間違いあるまい。

 弥次郎兵衛は駿河府中(静岡市)の豪商の家に生まれたが、父親が死んでからは安倍川遊郭にかよいつめ、さらには鼻之助という若衆と男色関係になるなど、放蕩のかぎりをつくして、とうとう家産をかたむけてしまった。
 いくばくかの金を持ち出した弥次郎兵衛は鼻之助を連れ、府中を出奔した。
 江戸に着くと神田に家を借りたが、遊んでばかりいるのでついに金を使い果たし、鼻之助を居候に置いておく余裕もなくなった。そこで、鼻之助を喜多八と改名させ、商家に奉公に出した。

次のページ その後、女房をもらった弥次郎兵衛だったが……