瀬戸内の潮風に吹かれ
幕末に思いを馳せる

 広島県の南東部に位置する福山市。その南端、瀬戸内海のほぼ真ん中に面した港が「鞆の浦」である。
 古くから潮待ちの港として栄え、万葉集にも詠まれるほどの景勝地として名を知られた。戦国時代には織田信長に京を追われた足利義昭が滞在。江戸時代は北前船の寄港地、朝鮮通信使も度々寄港するなど、西日本を代表する港湾都市だった。
 現在もその賑わいを伝える常夜燈や古い街並みが大切に保存され、歴史ある港町として訪れる人の目を楽しませている。

 また、この鞆の浦の沖合には、坂本龍馬が率いた海援隊の船「いろは丸」が沈んでいる。幕末の慶応3年(1867年)、「いろは丸」は紀州藩船「明光丸」と六島沖で衝突。鞆の浦へ曳航される途中に沈没してしまった。
 海援隊と紀州藩は鞆の浦へ上陸後、4日間にわたって賠償交渉を行なった。結果、龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金を得ている。一説に、この事件が龍馬暗殺の原因となったのではないかと噂されたこともあり、幕末史を語るうえで重要な事件といえよう。

 今年、平成29年(2017年)は、その「いろは丸事件」から150年の節目を迎えるため、鞆の浦では趣向を凝らした記念イベントが実施されている。出かける前に、特設サイト(下記URL)をチェックしたい。

いろは丸事件/慶応3年(1867年)4月23日、海援隊の「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突した事件。昭和63年(1988年)以降、海底調査によって海底に沈む「いろは丸」が発見され、数々の遺品が引き揚げられている。(写真提供/いろは丸展示館)

 

再現された「いろは丸」 鞆の浦では、市営渡船として当時の海援隊の船を模した「平成いろは丸」が運航。仙酔島までの約5分、龍馬になった気分で船旅を楽しむことができる。

 

対潮楼 いろは丸事件の際、海援隊と紀州藩の交渉の場となった「対潮楼」。福禅寺の境内にあり、その本堂と隣接する客殿である。ここからの海の眺めは素晴らしく、「日東第一形勝」と賞賛された。

 

いろは丸展示館 江戸時代に建てられた土蔵を利用した施設。沈んだ「いろは丸」船内から引き揚げられた様々な遺品や、沈没状況のジオラマを関連資料とともに展示、紹介している。

 

お問い合わせ

福山市観光課 ☎084-928-1042
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/iroha-maru/