○吉田松陰と品川弥二郎は相性100%!

 相性100%という関係は滅多にない。30人に1人くらいのイメージだろうか。そんな中、松陰と弥二郎の相性は100%。松陰は弥二郎について「温厚正直で人情に厚く、うわべを飾らない。抜きん出た能力はないが、心が広く奥深いのが優れている」と評価したという。「自分が自分が!」という主張が激しい生徒が多い松下村塾の中で、心が広い弥二郎は、松陰と門下生全体を結ぶ存在だったのかもしれない。
 

○吉田稔麿と伊藤博文の相性は0%!

 相性100%がそうそうないように、相性0%も珍しい。仲良しコンビと伝わる、稔麿と博文の相性は0%だった。1841年3月16日に生まれた稔麿と、同年10月16日に生まれた伊藤博文。同世代で幼少期からライバル関係にあったようだ。松下村塾の近所で育った、稔麿と博文は揃って、久保五郎左衛門が主宰していた2代目・松下村塾(松陰は3代目)に通っていた。当時の松下村塾は、読み、書き、そろばんを教える、いわゆる寺子屋のようなイメージだったそう。そこで2人は常に成績トップ争いをしていたらしい。もともと相性の悪い2人だから、壮絶なライバル関係だったのだろう。その関係によって、お互いに知識、武術を高め合ったのかもしれない。最終的に2人はお互いの供養を託す仲になったそうである。相性0%という全く相いれない関係から、ライバル争いが繰り広げられたことで、お互いにお互いを認め合う関係になったのだろうか。稔麿は池田屋事件において24という若さで亡くなり、その後博文は第一代総理大臣になるわけだが、弥二郎は後に「稔麿が生きていたら総理大臣になっただろう」と語ったと言われる。死してなお、ライバル関係が維持されるとは、相性0%もなかなか面白いものである。

 以上、松陰と松下村塾の中心メンバーの性格、相性を見て来た。松下村塾の双璧と言えば、晋作と久坂玄瑞であるが、残念ながら玄瑞の生まれた日がわからず、四柱推命鑑定できなかった。全体的に相性がいまひとつの塾生たちであるが、もしかしたらキーマンは久坂玄瑞だったのかもしれないと想像せざるを得ない。

■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

【参考文献】
「松下村塾 近代日本を創った教育」池田諭 広済堂出版(1968)
「松下村塾」古川薫 新潮社(1995)