大物主神を祀り
「天下太平」「人民富栄」を実現

奈良県大台ケ原の神武天皇像

 初代の神武天皇とは異なり、第10代崇神天皇は『古事記』『日本書紀』ともにハツクニシラススメラミコトと呼ばれている。しかも両書ともに共通するのはこれが「称えられた名」であるという点である。

『古事記』では、「故、その御世を称へて初国知らす御真木の天皇と謂す」、『日本書紀』では、「故、称へて御肇国天皇と謂す」とある。崇神朝は平和と繁栄とを実現し、国家としての初期的達成を見た時代として位置づけられた故の称号と見ることが出来る。

 国家としての初期的達成という点に深く関わる内容としては、大物主神祭祀に関わる話を挙げることが出来る。大物主神ははじめ祟りをなして人民の多くを死に至らしめたが、神の要求に従って祭祀を行った結果、「天下太平」「人民富栄」を実現している。

 大物主神はヤマトを代表する神であり、この神とヤマトの境界神を祀ることによって天皇の支配領域ヤマトを確立する。その後、高志国・東方十二道への将軍派遣、謀反を起こした建波邇安王の討伐、高志国・東方十二道平定の完了、徴税の開始、そしてハツクニシラススメラミコトの称号へと繋がる。

 称えられる直前の記事が税制確立である点に注意する必要がある。もちろん直前のこの記事は、神祇制度の確立や領土の確定・拡大があってようやく成り立つものであろうが、やはり最終的にこの記事があってはじめて称号が与えられているということは、それだけ深い関わりがあるのだろう。

 そこで考えられるのは、天皇と人民との関係の確立の重要性という点である。特に『古事記』の場合、「人民」が記事に描かれるのはここが最初である。崇神天皇の御世は、神・天皇・人民という、この三者の関係の確立というテーマで描かれているように見える。神と天皇との関係は、天皇がこれを祀るという関係、天皇と民との関係は、貢献と支配という相互関係。この三者の関係が成立することで初めて国が成り立つというところから、「ハツクニシラス」という表現が取られるのではなかろうか。