崇神天皇と同じく
税に関わる仁徳天皇

奈良県大台ケ原の神武天皇像

『日本書紀』以上に『古事記』は人民が表面に描かれることが少ない。特定の個人を指すのではなく、一般の人民が話題となるのは2箇所だけである。その一つが崇神天皇条であり、もうひとつが仁徳天皇の聖帝伝承に関わる箇所である。

 ある時天皇が高山に登って国の四方を御覧になって、「国の中に竈を焚く煙が立っていない。これは国の民が貧しく困窮している故であろう。だから今から3年の間、人民の税はすべて免除せよ」とおっしゃった。そして3年が経ち、改めて国の中を見渡すと、国中に竈を焚く煙が満ちあふれていた。人民が富栄えるようになったとお思いになり、天皇は課税を再開したという、仁徳天皇の仁政を称えた有名な話である。そしてこの話の末尾に「故、其の御世を称へて、聖帝の世と謂ふなり」と記されている。

 一方が税を課した始めであり、「ハツクニシラス」天皇と称えられ(崇神天皇)、他方では税の取り立てを3年免除した天皇が「聖帝」と称えられる。どちらも税がらみでその「御世」を称えられているのは偶然とは思われないし、人民が関係してくる話において「御世」が称えられるという点も無関係とは思われない。

 仁徳天皇の場合、その聖帝像には儒教思想の影響が指摘されるわけだが、「御世」を称えられる天皇として、実は崇神天皇像もその延長上に位置付けられるのではなかろうか。天皇と民との関係においてこの2人の天皇は称えられるのであり、その関係で重要なのが税ということなのであろう。このように崇神天皇は大物主神祭祀及びヤマトの境界祭祀を行うことで政治・祭祀の中心地であるヤマトの領域を確定し、税制の開始によって経済的社会を整備した御世の天皇として、『古事記』『日本書紀』ともに「ハツクニシラススメラミコト」と称えられていると見ることができる。