大物主神の言葉から
始まった崇神天皇の祭祀

奈良県大台ケ原の神武天皇像

『古事記』の場合、一般の人民について描かれている点以外にももうひとつ、『日本書紀』とは異なる独自の展開により、崇神天皇がハツクニシラススメラミコトと称えられる要因が考えられる。崇神朝の治世の達成には「国家安平」「人民富栄」という要素が込められている。

 いま『古事記』で確認してみると、まず祟り神として天皇の夢に顕れた大物主神は祭祀を要求するが、それによって国の平安がもたらされると予言する。次に大物主神を祭るべき意富多々泥子命(大物主神の末裔)を河内国で発見した際に天皇は、これで天下が平かになり、人民が富み栄えるという喜びの言葉を発する。そして意富多々泥子命の祭祀記事の後に「国家安平」という結果となったことが記され、その後、各地に派遣された将軍による地方平定の完了後に「天下太平、人民富栄」と記される。つまりすべては大物主神の託宣の言葉から出発しているのである。

 これも周知の話だが、『古事記』の神話では、葦原中国(地上世界)の国作りを行った大国主神は、始めはスクナビコナの協力を得て国を作り堅めるが、スクナビコナは途中で常世国へと渡ってしまう。大国主神は自分一人でどうやって国を作ろうかと途方に暮れていたところ、海を照らして寄りくる神があった。その神の言うことには、自分を良く祀ったならば一緒にこの国を作り完成させよう。しかしそうでなければ、国が完成することは難しいだろうという。
 それで大国主神がどのように祀れば良いのかと尋ねたところ、自分を「倭の青垣の東の山の上」に大事に祀るようにという要求をした。その神は「御諸山の上に坐す神」であるという説明があって話が閉じられる。この神の名前は明記されないが、ここに登場する神こそが崇神記に見える「大物主神」であろうと考えられている。