深海の灰色狼。第二次世界大戦で大西洋において連合国側を戦慄させたドイツ海軍の潜水艦「Uボート」にまつわる物語をオムニバス連載で紹介する。
U47艦長ギュンター・プリーン。乗組員の服装が雑然としているUボートでは、艦長だけが白い帽子カバーをかけて見分ける目印としていた。

スカパ・フローに潜入せよ!
その2:ギュンター・プリーンという男

 Uボート艦隊総司令官のカール・デーニッツ肝入りのスカパ・フロー侵入作戦は、極秘扱いであった。そして検討が加えられた結果、第7Uボート戦隊(司令エルンスト・ソーベ少佐)に所属するギュンター・プリーン大尉が艦長を務めるU47に白羽の矢が立てられた。きわめて危険な作戦であり、ゆえに志願制であったが、戦意にあふれた彼は躊躇なく志願した。

 1908年1月16日、プロイセンのザクセン州オスターフェルトで判事の家の子として生まれたプリーンは、海と船が好きだったため商船士官を志してハンブルクの海員養成学校に入学。卒業資格を得ると客船の四等航海士に就き、1932年には船長資格を取得した。

 だが当時、世界に吹き荒れていた大不況の嵐により船長はおろか商船士官の職すら見つからず、社会への不満を募らせたプリーンは1932年5月、当時人気だったナチス党に入党し、直後に国家労働奉仕団へと入団。その頃、再軍備化の流れの中でドイツ海軍は即戦力となる人材を求めており、それを知った彼は翌33年に海軍へと入隊した。
 海軍軍人としての基礎訓練後、まずは軽巡洋艦に勤務し、さらにUボート艦隊へと異動してU26に乗り組んだ。そして1939年にはU47の艦長に就任。この地位に在るときに第二次大戦が勃発したのだった。

 さて、オークニー諸島近海からスカパ・フローにかけては、随所で水深が浅く小島や岩礁、暗礁や浅瀬も多数散在していた。そのせいで潮流も入り組んだ複雑なものであり、スカパ・フローの深奥まで侵入するにはかなり高度な操艦技術が要求された。だがプリーンはUボートだけでなく商船での経験も積んでいたため、このような航法が難しい作戦には適任であった。

「プリーン大尉。難しい任務だが、君の技量と経験をもってすればさほどのこともないのではないか。私がいうまでもないことだが、油断は禁物だ。どうかよいハンティングを」
 ソーベがプリーンに言った。当時は戦闘航海を狩猟になぞらえることが多かった。
「ありがとうございます。大口はたたけませんが吉報をお聞かせできるよう、本艦の乗組員ともども最大限の努力をいたします」
 プリーンの言葉にソーベが頷く。

 かくて運命の時計の針は回り出した・・・

@次回は8月30日(水)に配信予定です。