いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? ソクラテスの一番弟子とも言われる「プラトン」に迫る第3回。
プラトン(向かって左)とアリストテレス。

運命の地シチリアへ

【第1回はこちら】【第2回はこちら
 アカデメイアと多数の著作の成功により、名声と地位を確かなものとしていたプラトンに大きな転機が訪れたのは60歳を過ぎた頃だった。シュラクサイのディオンから、先代の後を継いだ独裁者ディオニュシオス二世の教育者となることを要請する手紙が届いたのである。
 プラトンは、はじめは躊躇ったものの、手紙や使者が何度も送られてくると熱意に押され、ついに二度目のシチリア行きを決意した。
 
 国を統治する者が哲学者となれば、国家は法と正義で満たされ、市民の全てが幸福な生活を送れるようになるとするのがプラトンの理想国家論である。
 ディオニュシオス二世を哲学者として教育することができれば、自らの理想を実現させられるのではないか。シュラクサイに向かう船の中で、プラトンは20年前のほろ苦い思い出とディオンへの恋慕と共に、希望と不安で綯い交ぜになった心境になったことだろう。

 シュラクサイに到着したプラトンは国を挙げた盛大な歓迎を受けた。迎えの馬車が来て、若き独裁者ディオニュシオス二世と家臣達から敬意を持って受け入れられると、たちまち宮殿の中では哲学の議論で盛況になった。床の上に撒いた砂の上に図形を描いて皆が議論したために、宮殿中に砂埃が舞い上がるほどだったという。
 ディオニュシオス二世はプラトンの講義を熱心に聞き入った。盟友にして愛人でもあったディオンは働き盛りの40歳となっていて、国家の中心人物となっていた。そして、多くのシュラクサイの人々に哲学が受け入れられ、人々の生活と国家の在り方に反映されようとしていた。その様子を見てプラトンは嬉しく思ったことだろう。
 
 だが、シュラクサイの国家体制は一枚岩ではなかった。