戦国時代の壮絶な夫婦愛

朝、起きて顔を洗い、髪を整え朝食。仕事をし、息抜きに一服、家路へと帰る――われわれが当たり前のように過ごす一日は、とうぜん武将たちにもありました。
戦国武将の一日はどんなものだったのか。「大図解 戦国武将の暮らし」と題し戦国武将の「衣食住」を大特集し好評を博している歴史人9月号には、たとえば伊達政宗は朝6時に起き、まず煙草を吸い……と細かな日常が描かれています。ここではその歴史人より、ある戦国武将「夫婦」の衝撃的な絆をご紹介いたします。

 戦国時代でも、硬い絆を思い知らされる夫婦愛があった。歴史研究家の楠戸義昭氏が、そんな過激な愛のかたちを紹介している。

「初冬の風が肌をさす朝、屍が累々と横たわる枯野に一人の女の姿があった。屍をついばむ無数の烏を気にせず、遺体の一体々々を丁寧に見て歩く。

 首は恩賞の証拠にすべく勝者が掻き切って持ち去り、屍が着ていた甲冑やめぼしい衣類は、野盗と化した農民に剥ぎ取られて、ほとんど何も身につけていなかった。

 女はまだ20代で安芸三入(みいり)(広島市安佐北区可部)の高松城主・熊谷元直の妻(宮光信の娘)だった。

熊谷元直は高松城の城主だった。

 永正14年(1517)10月22日、熊谷直実の後裔である28歳の元直は、大内氏に反旗を翻した武田元繁傘下の勇将として、有田合戦(激突地は広島県北広島町)に出陣し、毛利・吉川連合軍と対決した。そして初陣・毛利元就の奇襲に、元直は矢を額に受けて落馬し、首を取られた。

 悲報はその日に妻の元に届く。逃げ帰った家臣に「遺体をなぜ持ち帰らぬ」と怒ったが後の祭りだった。

 彼女は野ざらしになった夫を思うといたたまれず、その夜、甲冑をつけると、槍を手に単騎、20キロの山道を駆けて戦場に向かい、夜明けとともに夫の遺体を探したのである。

 目を背けたくなる屍の原に足がすくんだ。だが勇気を振り絞るが、首もない裸同然の遺体は識別困難だった。妻は夫には腫物の跡あったことに気づく。一つ一つの屍の腕をとって、その痕跡を捜し歩いた。

『陰徳太平記』はいう。「夫婦の契り浅からずして、やがて元直の死骸に探り当て、これこそ妻よと云うもあへず、抱き付きて伏しまろび、声をばかりに泣き叫ばれけり」

 泣くだけ泣いて心が落ち着いた時、非力な女の自分が、背負って遠い山道を越えるのは不可能と悟って愕然とした。仕方なく彼女は夫の右腕を切り落し、大事に懐にしまうと、残して行く屍に後ろ髪を引かれながら戦場を後にした」

 妻は夫の片腕を井戸水で洗い、その場に弔ったという。そして、彼女自身もその傍らに眠っているといわれている。戦国の世ならではの、純愛にも似た壮絶な妻の想いに心打たれる。

『歴史人』2017年9月号「戦国武将の恋愛と結婚」より。