伊達正宗が仕掛けた男色ハニートラップ

戦国武将の日常はどんなものだったのか。賃金、遊び、恋愛の形は? 食事、健康法はどんなものがあったのかーー「大図解 戦国武将の暮らし」と題し戦国武将の「衣食住」を大特集し好評を博している歴史人9月号。今回は「戦国武将の恋愛と結婚」より伊達政宗がとった驚きの戦略をご紹介する。

 戦国時代といえば、男色は当たり前であった。武田信玄と高坂昌信、織田信長と森蘭丸など、その例は枚挙にいとまがない。

 しかし、その独特な愛の関係は様々な事件を引き起こす引き金ともなった。歴史作家の楠戸義昭氏が、戦国武将が男色を利用した事件を紹介している。

伊達政宗は自らも男色を楽しんでいた。
イラスト/さとうただし

「伊達政宗もまた男色にのめり込んだ人物だけに、その経験を生かし、蒲生氏郷殺害を図ろうとして、未遂に終わった事件があった。

 政宗は小田原参陣に遅刻して、秀吉から山形県の墳墓の地や拠点とした会津を奪われ、宮城県北部の岩出山城に追いやられた。そして氏郷が会津に入ると目の仇にし、一揆を扇動したとされる。
 

 そして氏郷を葬るために美少年を刺客にすることを考えた。そこで数代に渡り伊達家に仕える者の息子で、美貌に優れ、魅力的な16歳になる清十郎に因果を含めて、田丸中務(なかつかさ)少輔(しょうすけ)のもとに児(ちご)小姓(こしょう)として奉公させた。なぜなら氏郷に男色趣味がなかったから、氏郷と姻戚関係のある少輔の男色を利用し、氏郷が田丸家を訪れた際に、刺し殺すように命じたのだった。

 しかし清十郎が父に送った手紙が、関所の検閲に引っかかって陰謀が露顕し、清十郎は獄舎に繋がれた。だが氏郷は、主君政宗への忠義から出たこととして、清十郎を許した」

 自らも男色にのめり込んだ独眼竜政宗ならではの策略だったといえよう。

『歴史人』2017年9月号「戦国武将の恋愛と結婚」より。