多くのエネルギーが必要だった戦国時代

朝、起きて顔を洗い、髪を整え朝食。仕事をし、息抜きに一服、家路へと帰る――われわれが当たり前のように過ごす一日は、とうぜん武将たちにもありました。
戦国武将の一日はどんなものだったのか。「大図解 戦国武将の暮らし」と題し戦国武将の「衣食住」を大特集し好評を博している歴史人9月号には、たとえば伊達政宗は朝6時に起き、まず煙草を吸い……と細かな日常が描かれています。ここではその歴史人より、食事事情をご紹介します。

 戦国武将は、何を食べていたのだろうか。テレビドラマなどでみる食卓は質素なイメージがあるが…。歴史研究家の渡邊大門氏が戦国時代の食事事情について、解説している。

「日本において、朝・昼・晩に食事を摂る三食制が確立したのは、おおむね織豊期(十六世紀後半)頃といわれている。それまでは、二食制であった。ただし、二職とはいっても、間食(硯石)を摂ることも多かったようである。

 食事を摂るタイミングもさまざまで、一般的な武将の場合、朝食は午前八時頃、夕食は午後五時頃であったという。ただし、公家の場合は、午前十時頃に朝食を摂り、午後四時頃に夕食を食したとの記録も残っている。

おやつには、桃、柿、ぶどうなどの果物が多かったという。

 戦国時代の人々は、農作業、土木作業に従事したり、自らの足で歩くことが多かったので、多くのエネルギー量を必要とした。それゆえ、日常食は米を大量に摂取し、味付けの濃い副菜で飯をかきこむというスタイルだった。米には、粟や稗などの雑穀も混じっていた。副菜の品数は一・二品程度で汁があり、汁には野菜や肉が具材として用いられた。ときにおやつとして果物(杏、桃など)が供された。

 当時の米は蒸して提供されており、強飯と称された。白米も用いられたが、多くは黒米(半搗米、玄米)だった。ちなみに、現代のように水を入れて炊いた米は、姫飯という。強飯は湯漬や水漬にされたり、あるいは汁をかけて食することもあった。また、菜飯や赤飯といった混ぜご飯、おかゆも好まれたという。

 海辺に近い場所では、海藻を含む魚介類も好んで食され、山間部では川魚を食べた。魚介類は長持ちしないので、干したり熟れ鮨のようにして保存していた。

 また、牛や馬は農耕の作業に必要なので、ほとんど食されなかった。代わりに鶏、雉、鴨、猪、鹿などを食べていた。野菜は山菜などのほか、瓜、茄子、ねぎなど多種多様で、各地には特産品もあったのである」

 戦国時代の食生活は意外に豊かだったようである。

『歴史人』2017年9月号「戦国武将の食事大調査」より。