いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? アレクサンドロス大王の教育者「アリストテレス」に迫る<後篇>。
アリストテレス(右)の講義を受けるアレクサンドロス(左)

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アレクサンドロス大王を教えたアリストテレス

 アテネを去ってアソスという都市に移り住んでから2年ほどが経ち、40歳を過ぎたアリストテレスは、マケドニア国王フィリッポス2世から13歳の王子アレクサンドロスの教育者として招かれ、マケドニアの首都ペラへ移る。ここで、アリストテレスは教師として数年の間、アレクサンドロスや貴族の子弟に教育を行った。またこの時期、アソスから逃れてきたヘルミアスの妹ピチアスと結婚している。

 アレクサンドロスは師であるアリストテレスを終生尊敬し続け、東方への遠征中にも植物や動物の標本を送ったという逸話もある。だが一方、両者の仲はあまり良いものではなかったとも言われている。

 アレクサンドロスは20歳の時に、暗殺された父フィリッポス2世の後を継いで王となった。アテネは既にマケドニアの支配下にあったため、アリストテレスは甥を自分の代わりにアレクサンドロスの元に残し、アテネへ戻った。このことが不興を買ったようで、以後アレクサンドロスは他の哲学者を厚遇するようになる。

 ちなみにアリストテレスの甥は自由率直に物を言う人物だったようで、アリストテレスが事前に忠告していたにも関わらず、アレクサンドロス暗殺計画に連座した疑いをかけられて、生きたままライオンに食べられるという刑で殺された。

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