いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? 古代ギリシャ、男性中心社会の中で名を残した女性哲学者ヒッパルキアとは? 「クラテスとヒッパルキア」に迫る<前篇>。
クラテスとヒッパルキアのローマの壁画。ヒッパルキアは箱を持っているクラテスに近づき、彼女が財産を持つ潜在的な花嫁としてクラテスの元に来たことを意味する。

裕福な生まれから一転、哲学者クラテスの生き方

 ハンナ・アーレントやシモーヌ・ヴェイユなど、20世紀以降には数多くの女性哲学者が活躍している。だが、たくさんの哲学者を排出した古代ギリシアは男性中心社会だったためか、女性哲学者の活躍はほとんど知られていない。そんな中、名を残しているのがヒッパルキアという女性哲学者である。

 ヒッパルキアは哲学者クラテスの妻だった。まずはそのクラテスである。クラテスはテーバイという都市の裕福な家に生まれ、莫大な財産に恵まれていた。その家はアレクサンドロス大王が滞在するほどの名家だったそうだ。

 しかし、ある悲劇の中に登場する貧しい人物の姿に感動して清貧な生き方を送ろうと決意したクラテスは、土地や財産を銀貨に換えて市民たちに全て分け与えてしまった。

 財産を両替商に預け「自分の子供たちが大人になって普通の人間になったらこの財産を渡してほしい。しかし、子供たちが哲学者になったら市民に分け与えてくれ。哲学者になったならば何もいらなくなるだろうから」と言ったともされている。

 その決意は堅く、一族の者が考えを翻そうと説得しに来るたびに杖を振り回して追い返すほどだった。 財産を全て投げ捨てたクラテスは、着の身着のままでアテネへ行き、「キュニコス派」の哲学者で人々から「犬」と呼ばれていたディオゲネスに弟子入りした。ディオゲネスは、街中に置いてある酒樽に住み、身に纏ったボロ布と頭陀袋の荷物だけを財産としていた人物である。クラテスもディオゲネスと同じように、ボロ布を着て貧しい生き方を送っていたようだ。

 
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