いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? 古代ギリシャ、男性中心社会の中で名を残した女性哲学者ヒッパルキアとは? 「クラテスとヒッパルキア」に迫る<後篇>。
クラテスとヒッパルキアのローマの壁画。ヒッパルキアは箱を持っているクラテスに近づき、彼女が財産を持つ潜在的な花嫁としてクラテスの元に来たことを意味する。

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現代的な女性ヒッパルキア

 クラテスと結婚したヒッパルキアは裕福な家を捨てて、夫と同じようにボロ布を身に纏うだけの貧しい生活を送った。夫婦はいつでも一緒にいて、広場の「彩色柱廊」に住み、人前で公然と性交渉をした。そしてバシクレスという名の子供をもうけたが、クラテスはその子が大きく育つと売春宿に連れていき、「自分の結婚はこんなふうにしてだったよ」と話したそうだ。

 ヒッパルキアはある宴席でテオドロスという男性と討論になり、言い負かした。反論できなくなり激昂したテオドロスは、突然ヒッパルキアの着ていた服を引っ張り上げて脱がしてしまった。しかし、彼女はまったく動じなかった。

 キュニコス派の主要な考え方は、恥を感じないように魂を鍛えるということである。そのために、みすぼらしい格好をして人前でも性行為を行っていたのだ。だから、彼女も裸にさせられたくらいでは動じなかったのだろう。

 テオドロスは立て続けに「機織りの傍に梭を置き去りにしている女(女の仕事を疎かにしているという意味)とはこの人のことか」と罵倒した。

 するとヒッパルキアは「そう、それが私なのですよテオドロスさん。でも、もし私がこれから先、機織りに費やすはずだった時間を教養のために使ったとしても、私は自分が間違った時間の使い方をしているとあなたに思われることはないでしょうね」と言い返した。