◆「ブラック部活」はなぜ社会問題になったのか

部活があぶない』(講談社現代新書)を上梓して2カ月。新聞やラジオなどさまざまなメディアから、本のテーマである「ブラック部活」について聞かれた。なかでも多いのは、こんな声だ。

「部活って、僕らのときのほうが結構殴られたように思うんですが。今の若者はやっぱり弱いんでしょうか?」

「部活顧問の先生もすごく熱心だったのに、今の先生って顧問はやりたくないし、時間も短くしてくれって運動してるんですよね? 生徒に愛情がないんでしょうか」

 子どもや教師といった部活動にかかわる「人の中身」が変わってしまったと思いがちだ。でも、そうではない。今の子どもだって一生懸命部活に取り組む。若者が本当に弱くなっていたら、近年のオリンピックで過去最多のメダルを獲得できるだろうか。

 教師だって、多くの人たちがみんな一所懸命に子どもたちと向き合ってくれている。
 人が変わったから問題が生まれたのではなく、「学校が変わっていない」ことが問題なのだ。

 時代や社会の価値観が変わっているのに、子どもと教師が過ごす学校が旧態依然としたまま。例えば、体罰。1990年代に児童虐待が社会問題化して以来、子どもはたたかず育てるという観念が定着してきた。ところが、懲罰を与えることで子どもを従わせ、奮起させてきた中学、高校は、指導スタイルを転換できなかった。特に、運動系の部活動に色濃く受け継がれていた。

 親からたたかれたこともないのに、いきなり他人に殴られる子どもの戸惑いは計り知れない。
 よって、2013年に発覚した大阪の市立高校バスケットボール部のキャプテンが顧問の暴力や理不尽な扱いを苦に命を絶った事件は、起こるべくして起きたといえよう。

 亡くなる4日前に書かれた顧問への手紙には、
「なぜ、翌日に僕だけがあんなにシバき回されなければならないのですか? 一生懸命やったのに納得いかないです。理不尽だと思います」
「キャプテンをしばけば何とかなると思っているのですか? 毎日のように言われ続けて、僕は本当に訳が分からない」
「キャプテンしばけば解決すると思っているのですか」
 そのような深い苦悩が綴られていた。

 この事件を機に、教育界とスポーツ界は暴力根絶に舵を切り、学校では体罰アンケートが定期的に実施されるようになった。それでも、部活での暴力やパワハラ、セクハラ報道は後を絶たない。

次のページ 昭和のやり方は通用しない