ノンフィクション作家、谷川彰英が名古屋をたどる。寺院の数が日本一多い愛知県。『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より、知られざる名古屋の寺院の魅力を紹介する。

家康の街づくり

「甚目寺(じもくじ)」という名前も珍しいが、その名前はつい最近まで「甚目寺町」という町名にもなっていた。平成22年(2010)海部郡七宝町・美和町・甚目寺町が合併されて「あま市」になるまで、この地は「甚目寺」という由緒正しき地名を誇っていた。

 家康が名古屋城をつくった際、この名古屋城を護るために鬼門に当たる四つの方角に由緒のある古刹(こさつ)を「尾張四観音(しかんのん)」として制定したという。それは次の四つの観音様であった。

 甚目寺観音 あま市甚目寺 (北北西)
 龍泉寺(りゅうせんじ)観音 名古屋市守山区龍泉寺 (東北東)
 笠寺(かさでら)観音 名古屋市南区笠寺町 (南南東)
 荒子観音 名古屋市中川区荒子町 (西南西)

 それぞれが千数百年の歴史と由緒を持った名刹(めいさつ)である。東京にはこれに匹敵する観音様は存在しない。その意味では家康の街づくりは江戸よりも名古屋においてその真骨頂を発揮しているといえるかもしれない。

 前回紹介したように、大須観音も名古屋の中心地にあって有名だが、「四観音」はあくまでも名古屋城を中心に置いた際の鬼門を固める観音様であり、大須観音はここに入れないのが正しいようだ。

 名古屋では、毎年節分になると、その年の「恵方(えほう)」にしたがって、節分会が盛大に行われている。「恵方」とは「その年の干支によって縁起のよいと定めた方角」のことで、その恵方に当たったお寺ではとりわけ盛大な節分会が行われるという。名古屋ではその恵方の観音様を参拝に行くと、ご利益があると信じられている。

 その恵方は、笠寺観音、龍泉寺、荒子観音、笠寺観音、甚目寺観音の順番で、五年で一巡するようになっている。なぜ笠寺観音だけ二度回ってくるのか、これも不思議だが、何にしても、この四つの観音様はなかなかのものなのだ。

 かつては、この四つの観音様をめぐるための街道もあったという。現在千種(ちくさ)区には日泰寺の東側に「四観音道」が残されているが、それはこの笠寺観音から龍泉寺へ向かう道筋を意味している。

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