「盧溝橋事件」から「玉音放送」まで続く激動の時代。そこで日本人は“何”を守り、“何”を失ったのか……。当時の国内外の指導者たちや昭和天皇の【言葉】から、先の大戦の意味を解き明かした注目作がついに発売! 戦後70年の夏に贈る、「戦争を考える」一冊。著者の小川榮太郎先生に、「歴史の見方」について語ってもらった―。

Q1 まず、本書を執筆しようと思った動機をお聞かせください。

小川 それは……。KKベストセラーズの編集部から依頼されたからだよね(笑)。

 私の専門領域は文藝評論で、まあ対象は芸術と思想だし、最近出している本は政治に関するものが多い。「昭和史」には昔から強い関心を持っていましたが、いわゆる「通史」を書くつもりはありませんでしたので、出版のお話があったときにはお引き受けするかどうか、正直迷いましたよ。

 しかし、引き受けてみて良かった。この話を持込んでくれた皆さんには感謝しています。これまで、近現代史の研究書やさまざまな回想録などで漠然とイメージしていた昭和史を、改めて自分で組み立て直そうとしたとき、あまりにも見過ごされてきた論点や観点が多くあるということに、逆に気づかされましたからです。

 そういう意味では、初学者が一生懸命に書いた本で、だからこそ逆に「昭和史プロ」の方たちには書けていない「素人の視点」がたくさん詰まった本になったかなと思います。

Q2 本書では1937年から1945年までの戦争史が語られていますが、このように「昭和の戦争」の全体像がつかめる類書は、実は少ない。なぜでしょう?

小川 理由はいくつかあると思いますが、一つは専門家が余り通史にチャレンジしないという事があるのでしょうね。例えば、ある人は「日中関係」の専門家だったり、ある人は「戦記」の専門家だったり、またある人は「個人の評伝」が得意だったり……。そういう個別の主題では、優れた本がたくさんあります。でも、専門家はかえって通史を書くことを怖がるのかもしれませんね。

 それから、1937年というのは「支那事変」勃発の年ですよね。今回、私はあえてここにこだわりました。

 先の大戦では、日本は支那事変から一貫した戦争を戦っていました。それは昭和天皇の「開戦の詔勅」でも言っています。日本はそういう自覚、つまり「1937年からの戦争」を戦ったのです。

 ところが「東京裁判史観」では、日本が1931年の「満州事変」から侵略戦争を15年間したということになっている。「15年戦争 = 侵略戦争史観」という、“懲罰史観”が基本にあります。この「懲罰史観」とか「15年戦争」というのは、無理な史観なんです。何しろ満州事変の後、日中間は一時期平和が続いているのですから。でも、戦後のほとんどの本が、その無理な史観に基づいて書かれています。というのは満州事変そのものは明らかに日本側の責に帰することができるけど、支那事変になると原因が寧ろ中国側にある、だから満州事変から一貫して日本が悪者だったという話にしないと日本悪玉史観が成立しないからです。そういう無理な史観に立脚した日本の歴史学の現状も、これまであまりいい通史がなかった原因でしょう。

Q3「まえがき」にも書かれていましたが、本書では「侵略戦争史観」にも「アジア解放史観」にも偏らず、あくまで中立の立場を貫こうと試みられています。こういった書籍も珍しいような気がするのですが……?

小川 先ほどもお話しましたが、歴史家が日本を懲罰するような、「軍部が悪かった」「日本が悪かった」という「侵略戦争史観」があります。一方で、「そうじゃないよ」という、それに反撃する史観が出てくる。

つまり、今までの歴史書の多くが、最初から日本の歴史を裁こうとしたり、あるいは弁護しようとしていて、歴史そのものを「自分で追体験」しようとする本が大変少ない。

 東京大学を中心とした史学界は、何だかんだ言っても結局は東京裁判史観ですし、本来人間の歴史、人間の生きた歴史の多様性を大事にしてきたはずの文藝春秋も、半藤一利氏を中心とした勢力に牛耳られて、ここ数年で朝日新聞や岩波書店の側に行っちゃった。それで、東京大学の歴史観も朝日・岩波の歴史観も文藝春秋の歴史観も、すべて人間の多様性を大切にしながら歴史を見る余裕のない裁く歴史になってしまった。今は、「善玉・悪玉でない歴史」を語る場がなくなってしまったという感じがありますね。

 だから、そういう一方的な裁断や弁護ではなく、その場その時に立って歴史を追体験しながら、同時に歴史の評価もする――今回の試みはそういうものであろうとしたのです。

Q4 先人たちの「言葉」から戦争の歴史をひも解くことで、先生の中で何か新たな発見はありましたか?

 

小川 そうですね。例えば、毛沢東が支那事変を「共産党と国民党と日本の三国志だ」と言ったんです。面白いでしょ、この言葉。この戦争(支那事変=日中戦争とも言いますが)は、主権国家間の近代戦争じゃないんです。だから主権国家間の近代戦争だという前提で、「日本が悪かった」とか「国際法ではどうだったか」といった見解をむりやり当てはめたら、この戦争の本質は見えない。それをアタマのいい高学歴の学者さんたちが延々とやっているわけです。でも、そもそも前提が違うんだから……。

 毛沢東みたいな天才は(悪い奴だけどね)、一言でズバリこの戦争の本質を射貫いています。学問が作ったカテゴリーで歴史を分類したり裁いたりするのではなくて、歴史上の天才が本質を射貫いているような「言葉」に立って歴史を見ると、歴史は特定の立場に固執していては見えない様々な模様を描いて、我々に謎を掛けてくる。そうした歴史の不思議さに迷うことが面白いので、簡単に裁きを付けるなんて面白くないと思いませんか。

 あるいは、もう一つ例を挙げると、昭和天皇の美談として語られることの多い、「二・二六事件」のときの「朕自ら近衛師団を率いて此れが鎮定に当たらん」という言葉。この言葉からは、ここまで昭和天皇が関与しないと、軍も政治も動かなかったという、極度の国家機能不全が見えてくる。

 逆に言えば、あのときに昭和天皇がその決断をされなかったらどうなっていたかという想像力を、我々はもっと持つ必要があるのではないでしょうか。

 私は、何かを正当化したいのではないのです。第一線の人の言葉を深めると、決まった歴史観でカテゴライズされた従来の歴史からもっと自由に歴史が見えてくる。それが「言葉をたどる」大事なポイントだったような気がします。