「なにかいい手はないか」昭和43年12月3日の夜、こんこんと考えはじめた。第七期十段戦の第四局である。そして明くる日、また2時間考えた。そこで見えてきた一手。長考の末つかんだ勝利は、加藤一二三氏に「将棋とは感動できるもの、芸術なのだ」という思いを植え付けた。

第七期十段戦の第四局。“長考”が功を奏した

 長考に関していいますと、長考して大成功を納めたのが、昭和43年12月3日~4日に行われた読売新聞社主催の第七期十段戦の第四局です。

 相手は、大山康晴名人。当時「常勝大山」と言われ、ほとんどのタイトルを独占するほどの強敵です。タイトル戦は基本的に2日制で行われますが、1日目の夜のことでした。我々、対局者は自分の部屋が与えられますから、食事が終わったあとにこんこんと考えたんです。

 ちなみに、我々棋士は「どんな時でも考えている」と言われますが、その考える時というのは将棋の盤と駒は使いません。つまり、タイトル戦にも盤と駒は持って行かないのです。もちろん、盤と駒があった方が能率的であると思われますが、すべて頭の中で考えられるから必要ないですし、プロはそんなことしません。

 話を戻しまして、1日目の夜に私が何を考えたかというと、「どんな手を打てば私が優勢になるのか」ということです。抽象的な局面ですと、考えてもほとんど無駄なのですが、その時の将棋は決戦に突入していましたから、しっかりと考えました。「何かあるはずだ!」とずっと考えていたのですが、なかなか決め手が見つからない。結局、夜の12時くらいになって眠ってしまったんですね。

次のページ 7時間の長考の末にたどり着いた勝負手