全国5位730万人もの人口を抱える埼玉県の歴史を地名で紐解く。地名の由来シリーズ最新刊『埼玉地名の由来』から、古代武蔵野国の歴史をたどる。

①式内社の数から

「延喜式(えんぎしき)」は延喜5年(905)醍醐天皇の命により編纂が開始され、延長5年(927)に上進された法典のことだが、その巻9・10には当時の全国の大小神祇(じんぎ)の名称が記されている。これがいわゆる「神名帳(じんみょうちょう)」だが、そこに記されている神社を「式内社」と呼んでいる。

 その式内社によって、平安時代、それぞれの地域で、どの神社が重要視されていたかがわかるということである。実は、この式内社の数が、武蔵国の中でも現埼玉県地域に圧倒的に多いのである。

 武蔵国には44座の式内社が置かれていたが、その内訳は以下の通りである。「座」というのは、神社に祀られる神々の数を数える際の単位で、神社の数とは異なる。後に述べるように、武蔵国では埼玉郡の「前玉(さきたま)神社」だけが2座となっているので、神社数は43ということになる。引用は『新訂増補 國史大系[普及版]』(1995年)による。

荏原郡(えはらのこおり) 2座 
 稗田(ひえたの)神社 磐井(いはゐの)神社
都筑(つつきの)郡 1座
 杉山(すきやまの)神社 
多磨(たばの)郡 8座
 阿伎留(あきる)神社 小野(をの)神社 布多天(ふたての)神社 大麻止乃豆乃(おほまとのつの)神社 阿豆(あつ)佐味神社 穴澤(あなさは)神社 虎柏(とらかしは)神社 青渭(ゐの)神社
足立(あだちの)郡 4座
 足立(あしたて)神社 氷川(ひかはの)神社 調(つきの)神社 多気比売(たけのひめの)神社
横見(よこみの)郡 3座
 横見(よこみの)神社 高負比古(たけのふひこの)神社 伊波比(いはひの)神社
入間(いるまの)郡 5座
 出雲(いつも)伊波比神社 中氷川(なかひかはの)神社 広瀬(ひろせの)神社 物部(ものゝへの)天神社 国渭地(ゐち)祇神社
埼玉(さいたま)郡 4座
 前玉(さいたまの)神社二座 玉敷(たましきの)神社 宮目(みやのめ)神社
男衾(をふすまの)郡 3座
 小被(をふすまの)神社 出雲(いつももの)伊波比(いはひの)神社 稲乃売(いなのひめの)神社
播羅(はらの)郡 4座
白髪(しらかみの)神社 田中(たなかの)神社 楡(にれ)山神社 奈良(ならの)神社
賀美(かみの)郡 4座
 長幡部(なかはたへの)神社 今城青八坂稲実(いまきあをやさかいなみの)神社 今木青(いまきあを)・坂稲実荒御魂(さかのいなみあらみたまの)神社 今城青(いまきあを)・坂稲実池上(さかいなみのいけかみの)神社
秩父(ちゝふの)郡 2座
 秩父(ちゝふの)神社 椋(むくの)神社
児玉(こたまの)郡 1座
 金(かね)佐奈神社
大里(おほさと)郡 1座
 高城(き)神社 
比企(ひきの)郡 1座
 伊古乃速御玉比売(いこのはやみたまひめの)神社
那珂(なかの)郡 1座
 瓦に長い 菱に玉(みかの)神社

 このうち、「荏原郡」と「多磨郡」が現在の東京都、「都筑郡」が神奈川県で、44座のうち11座を占めている。「足立郡」以下が現在の埼玉県を指しており、44座のうち実に33座を占めている。

 この事実は、平安時代において、武蔵国では圧倒的に現埼玉県下に文化が集中していたことを端的に示している。

 もう一つ重要な事実は、武蔵国の式内社44という数は、相模国13座、安房国6座、上総国5座、下総国11座、常陸国28座、上野国12座、下野国11座に比べると、圧倒的に多く、埼玉県エリアの33座という数字だけでも、他の諸国を圧倒しているということである。 
 以上が、埼玉県が「表武蔵」だったことを主張する根拠の一つである。