イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 文化四年(1807)、品川宿の鶴屋という女郎屋に稀代の遊女が出て大変な評判となった。 
『街談文々集要』や『兎園小説』、『岡場遊廓考』、『我衣』、『きゝのまにまに』など多数にその記述があり、当時、いかに人々の話題になったかがわかる。
 ここは『兎園小説』の記述に拠ろう。

 女の名はつたといい、二十歳だった。駿河(静岡県)の生まれだという。
 つたは世にもまれな大女で、六尺七寸(約203センチ)の丈の着物を着ても、裾をひくのはわずかに一、二寸(約3~6センチ)に過ぎなかった。その腕力も抜群だったが、けっして人の前では自分の怪力を見せなかった。
 大女ながら性格は温和で、容貌も人並みだったので、つたを目的に夜毎にかよってくる客がいた。

『兎園小説』の編者である滝沢馬琴は、このつたの手形をある人から進呈された。手形で測定すると、中指の先端から手のひらの下まで六寸九分(約21センチ)、横幅は親指をくわえて四寸弱(約12センチ)あったという。
 つたは自分の巨体を恥じていて、初会の客には袖にくるんで手を見せず、足を見せることもいやがったという。
 人気が出て多くの客と交わったこともあり、瘡毒(梅毒)になって、やがて鶴屋から姿を消した。まもなく死んだという噂もあるが、たしかなことはわからない。

 

 江戸時代の庶民の平均身長は男が157.1センチ、女が145.6センチだったといわれるから、つたは当時としてはずば抜けた長身である。この大女の遊女に客が殺到した。
 評判の大女と交接したいという好色な好奇心から、男たちは品川の鶴屋に押し寄せたといってよかろう。
 つたと情交した男たちはさぞや、
「あそこも、大きいの、なんのって。水風呂に牛蒡とは、まさにあのことだぜ」
「あそこが大きいのはたしかだが、なんと、意外と締まりがよくってな。なかなかよかったぜ」
 などと、下卑た自慢話をしたことであろう。男の性的好奇心はいつの世も変わらないと言おうか。

 いっぽう、『街談文々集要』によると、品川の鶴屋を出たつたは「大女淀滝」と名乗り、方々の見世物に出たという。
 分厚い碁盤を片手に持ち、それでブンとあおいで大きなロウソクの火を消したり、釣鐘を左肩に抱えながら右手で字を書いたり、四斗入りの米俵を持ち上げてみせたりした。
『街談文々集要』の著者の石塚豊介子は、子供のころ浅草で父親に肩車されて淀滝を見物した思い出を同書に記しているが、扇に書いた字は、なかなかの達筆だったという。