名古屋在住、日本大好きラジオDJクリス・グレンが語る、
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか?

「武将兼アーティスト」って……なんかカッコいい

 

 古田重然? 誰、それ? と思う人も多いかな?
 古田織部と言った方が、わかりやすいかも。

 古田重然=古田織部は、戦国武将でもあり、大名でもあり茶人でもあり、茶器や庭園をつくったりもするアーティスティックなセンスの持ち主でもありました。
 重然がつくった茶道の流派「織部流」、ダークグリーンや黒が美しい「織部焼」も有名。茶人・古田 織部の弟子には、二代将軍・徳川秀忠、小堀遠州、本阿弥光悦もいたんですよね。

 こんな感じで「武将」のイメージより「茶人」のイメージが強い重然ですが、実は、織田信長の使番としても活躍しているし、秀吉の家臣になってからも、小田原征伐など、さまざまな戦いで武将として活躍しています。

 武将でもあり、茶人でもあった重然には、こんなエピソードがあります。
 大坂夏の陣(冬の陣とも言われている)の最中、佐竹義宣の陣を訪問した時、茶杓を作るのにピッタリな竹がたくさんある竹林を発見! 合戦中で、危険な立場なのにも関わらず、竹をもとめて竹林へと入っていってしまいました。
 パパーン! 敵の弾は重然の頭部をかすめ、ケガを負ったもの、なんとか命拾い。

 このとき重然は、兜をかぶっていなかったらしく「やっぱり、これからは、どこに行くにも兜をかぶっていないとダメだね」と言ったとか(笑)
 好きなものを見つけると、夢中になって他のことを忘れちゃう気持ち、わかるなぁ。僕も同じタイプです!

 せっかく命拾いした重然だけど、このあと、家康から切腹を命じられてしまいます。豊臣側にヒミツの情報をいろいろと流していたとか、家康暗殺計画に関係しているとか、そんな疑いがかけられたみたい。

 それが本当だったかどうかはわからないけど、切腹を命じられた重然は、言い訳もせず、潔く切腹…。
 やはりサムライです。立派な武士であり、茶人であり、アーティストでもあった古田重然=古田織部。

 彼の残した芸術家としての功績も忘れないでいたいですね。

次のページ 英訳はこちら!