「神の予言を授かった皇后が、崩御した天皇の御子を体内に宿したまま、海の向こうの異国を平定した……」記・紀は神功皇后について、神がった伝説を遺している。とうてい現実とは思えない逸話の数々は、宮廷で語られた古い神話がベースにあった。神功皇后伝説から古代日本の「秘史」に迫る。
『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』(国立国会図書館蔵)より、神功皇后。

「神の分化」の狙いは
天皇の歴史を古くするため

 住吉神話の夫婦神の古い呼び名は「オオタラシヒコ(大帯日売)」「オオタラシヒメ(大帯日売)」である。
 オオタラシヒメは連載第1回にある通り、7世紀に息長系の皇極(斉明)女帝をモデルとしてオキナガタラシヒメ(神功皇后)となる。そして、住吉からは女神の伝承が失われたものの、古伝は地方に残された。

 オオタラシヒメの名が記された最古の文献は、霊亀元年(715)前後に編纂された『播磨国風土記』である。神社の祭神としては神亀元年(724)、皇后伝説の舞台となる筑前の香椎廟(福岡県)に『聖母大菩薩大帯日売』が祀られている。また、弘仁14年(823)には『宇佐八幡宮』(大分県)に「大帯姫廟神社」の神殿が建てられた。
 朝廷では、承和10年(843)に、神功皇后陵が「大足姫命」の陵墓とも記されるようになる。長らく地方に潜在していたオオタラシヒメにまつわる古い伝承が中央で蘇り始めるのである。

 一方で、夫のオオタラシヒコの伝承は、「タラシ(帯)」を名前に含む3天皇、景行(大帯日子淤斯呂和気)・成務(若帯日子)、そして神功皇后の夫である仲哀(帯中日子)へと分化した。これにともない、住吉大社の祭神は「筒男神」3柱となり、「息長帯日売(神功皇后)」を加えた、現在の4神となった。

 なぜ、「神の分化」が行われたのか。その狙いは、「天皇の国家統治」の歴史をできるだけ古くすることにあった。というのも、『古事記』中巻に登場する15代の天皇群は、宮廷の有力神をベースに創作された存在なのである。つまり、天皇と対応する神の数を合わせようとしたのである。
 記・紀は、旧辞に記された「帯」を名に持つ国家神の物語を、3天皇と神功皇后の歴史へと改造を図ったのである。

◎第4回は、9月21日(木)に更新予定です。