母のために買ったはずが自分のために

 これではまずい。新しい地図帳を買ってあげなくてはならない。

 そう思って、ネットのブックショップを調べてみた。実家に帰ってきてからは、本や雑誌の買い物はすべてネット頼みだ。

 はたして中学や高校の教材で使うタイプの地図帳が、市販されているのかと手探りだったが、予想以上にいろんな地図帳が売られていた。なかでも興味を惹かれたのがこの本だった。

「ルーペ付 大きな文字の地図帳」(帝国書院)1800円(税別)

 文字の大きさを売りにした地図帳だ。なるほど、そんな地図帳まであるのか。さすがは高齢大国ニッポン。お年寄り向けの商品が充実している。老眼の年齢になっても勉強熱心な人がたくさんいるということか。さっそくポチっと購入してみた。

 数日して商品が届いた。結論から言うと、この地図帳は当たりだった。母に渡してあげると、「いいねえ。字が大きくて、見やすいねえ」と、第一声から好感触。目を輝かせ、ページをめくっている。

「ルーペ付」のルーペとは、平たいシートタイプの拡大レンズだった。これがまた手頃で、しおり代わりにも使える。

 ぼくもパラパラとながめてみたところ、確かに見やすい。文字が大きいだけではなく、地図の縮尺も大きいようだった。だから通常の「北ヨーロッパ」や「中東」といった、ざっくりした区分ではなく、「スカンディナヴィア半島」とか「ペルシア湾周辺」という、よりズームアップした区分になっていて、全体的に迫力のある地図帳ができあがっている。

 カタリーナ・ビットが嘆き、哀しんだサラエボも、ちゃんとボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都として掲載されている。止まっていた世界の歴史が、一気に20年以上進んだ。

 その日以降も、文字の大きな地図帳は順調に、母の活用アイテムになった。

 世界地図だけでなく、日本地図も大きめの縮尺で掲載されており、京都や奈良のお寺の名前が網羅されているところも、母のお気に入りのようだった。

 母は旅行が好きで、元気な頃は京都のお寺巡りなどによく出かけていた。地図を見ながら、旅の思い出をたぐっていたのだろうか。
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 こんなに気に入ってもらえるなら、もっと早く買ってあげれば良かったな。
 あらためてそう思ったのは、母の遺品整理をしていて、この地図帳がベッドの下から出てきたときだ。

 寝ている間に、ベッドの脇の隙間から滑り落ちてしまったのだろう。気付いていれば拾ってあげたのに、一体いつから落ちていたのか。

 母が最後に活用した「文字の大きな地図帳」は今、東京のぼくの部屋にある。ニュースやクイズ番組でわからない地名が出てきたときに、すぐ調べられるよう、テレビの脇に置いてある。

 ぼくもいよいよ老眼に悩まされるようになった。先日、新しく作ったメガネはついに遠近両用だ。

 おかげで今は、文字の大きな地図帳がとてもありがたい。母のために買ってあげたものが、こうして自分の役に立つなんて。

 どうせなら、この地図帳をボロボロになるまで使い込んでやろうと思っている。もしも今後どこかの国が分裂して、国境が変わっても、もうこの地図帳は捨てられない。

※本連載は隔週木曜日更新します。